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■vol.102 (2002年7月3日発行)

【杉山 茂】ワールドカップに見た広報責任者の実力
【井原 敦】アジアの代表監督たち
【糀 正勝】ワールドカップが終了して
【早瀬利之】沖縄の子供たちはなぜ強いのか

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◇ワールドカップにみた広報責任者の実力
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

ワールドカップの期間中(正確には開幕1週間前から)、連日横浜に設けられた国際メディアセンター(IMC)で「国際サッカー連盟(FIFA)記者会見」を傍聴する機会に恵まれた。

大掛かりな国際スポーツイベントの度にうならされるのは、主催者(国際連盟)側のメディアへの対応の巧さである。

今回は、毎日1時間、日韓の会見場を映像、音声で結び、どちらからでも自由に発言できる仕組みだったが、大会の前半はソウル、後半は横浜に移って、この会議を1人で捌き切った広報責任者(キース・クーパー氏・イングランド)のチェアワークが、鮮やかな冴えを見せた。

両会場それぞれ少なくとも30〜40人のジャーナリストが集まり、質問の中身は、多岐にわたる。

時に、「それは専門家でなければ…」と答えをそらし、「ノーコメント」ととぼけるシーンもあるが、たいていは、彼によって“回答”が返される。当然、それはFIFAの“回答”でもある。

日本のスポーツ団体の記者会見はここまでの水準には達していない。広報責任者は司会役が多く、回答者が2人も、3人も並ぶ。司会役は、いかに答えに窮するシーンを逃れ、定められた時間を早目に打ち切れれば、と時計ばかり気にする。

しかも、居並ぶ回答者の発言は、形にはまりすぎ、わざわざ顔を並べる必要はない、と思わされることがしばしばだ。敏腕の広報責任者なら、1人でこなせる質であり、量である。

FIFAをはじめ、国際スポーツ連盟の広報関係者が司会役に廻るのは、特定のテーマに絞られ、エキスパートあるいは専門の担当者でなければ、と思われた時に限られる。

今回では、チケッティング、ドーピング、レフェリングの3度、このケースがあったが、これらのテーマは毎日のように問い返される。その時は広報責任者自身が応対する。

なぜ、これだけの万能ぶりを発揮できるのか。

当人の情報収力、適切な問題意義の把握、有力紙・誌を読みこなすスタミナと反論を築ける経験などによるところが大きいが、大会の総てのできごとが、彼の手元に伝わる仕組みを見逃せない。情報、資料源は広報部門に限らない。FIFA全員が広報へ集中するのだ。このネットワークがなければ、気ままで高姿勢な質問者の群れに、立ち向かうことはできないのである。

日本のスポーツ団体も、メディア対応、広報に力を入れているが、FIFA、IOC、各国際連盟の動きには、足もとも及ばない。日本オリンピック委員会(JOC)の広報責任者をつとめたことのある友人は、「何か起きたら、まず広報へ」という姿勢がまったくない、と嘆いたものだ。しかも、リサーチャーを含んだスタッフの数は削られ、広報は1人で充分との“軽さ”が改められない。

メディアの理解を得られるシステムづくりは、現代スポーツの流れの中では、強い代表チーム作りと同じぐらいの重要さがある。

日本スポーツは、あらゆる場面で、国際水準にはまだまだ、と言ってよい。

几帳面さだけが“売り”の運営力に満足している時代ではなかろう。

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◇アジアの代表監督たち
井原 敦/読売新聞運動部

2002年ワールドカップが歴史の1頁として振り返られる時、共催国2チームの躍進は間違いなく語り継がれる一項目となった。"サッカー先進国"の欧州、南米からすれば、遠くはるかな極東にあるサッカー小国が、その存在感を世界に発信した大会だった。

日本と韓国両国代表チームは、フランス人とオランダ人の監督に率いられた。ヨーロッパから招かれた監督は、サッカーの歴史や文化が異なる上に、生活習慣も言語もなじみの薄い異国のチームをわずかな期間で成長させた。

この二人の監督は自分のチーム作りについて、期せずして同じようなことを口にした。

トルシエ監督は、レキップ紙にこう語った。「伝統のささいな違い(例えば先輩、後輩の序列)にまつわる(私と日本人の考え方の)対立を、微妙なやり方で、ひとつひとつ解消していく仕事は疲れるものだ。この仕事は、常に私自身にエネルギーを与えてくれた」。ヒディング監督はこうだ。「自分は礼儀正しい韓国を変えたいとは思わないと言ってきた。しかし、チーム内では年齢に関係なく、自分の考えを述べるという"サブカルチャー"を尊重したいと思った」。

トルシエ監督は、チーム内で年下の選手が年上の同僚を「さん」付けで呼ぶことをやめさせた。ファーストネームで呼び合う習慣を持たない日本社会では極めて異質なことだ。ましてや「経験」がものを言うスポーツの世界に住む日本人は、年功序列を強く意識する。

ヒディング監督は、ある時ミーティングの進行を韓国人スタッフに任せた。「朴さんは遠慮し、選手もかなりびっくりしていた。でもその通りミーティングは行われた。少しずつだが、私の思うことは形になってきた」と、オランダ人監督はレキップ紙に明かしている。

要するに、二人は「自立した個人」を選手ひとりひとりに求めたのだ。試合の準備はゲーム戦略の徹底やフィジカル面の強化だけではない。ピッチの上で集中力を途切らせずに、瞬時のプレーに対応する状況判断は、あくまでも個人個人の能力による。準備に費やした並々ならぬ努力を歓喜の結果へと実らせるためには、自立した個人の集合体が必要だった。そうしたチームを作り上げるときに、アジア人の年功序列の発想や几帳面な礼儀正しさが、二人の監督には障害に思えたのだろう。

しかし、過去の監督たちが自国チームの欠点を見落としていたわけではない。

もう4年前になるが、日本代表の前監督である岡田武史氏と、当時のラグビー日本代表監督の平尾誠二氏に本紙紙上で対談してもらったことがある。

フランス大会を終えたばかりの岡田前監督は、「帰ってきて若い人は闘争心に欠けると言われたが、それは日本の現状を表していると言いたい。一定の高さの質を大量に生産する日本の教育制度には、自分で判断する習慣がない」と語った。

ラグビーW杯アジア地区予選を間近に控えていた平尾前監督は「戦略を作ると個人の判断力が低下する。小学校か、もっと幼いころからの教育で判断させるサイクルを作って、それがスポーツのベースになっていかなければ」と指導の限界を吐露した。

この二人の監督は「自立した個人」をチームに求めながら、自国の教育制度の課題にまで直面せざるを得なかった。苦渋に満ちた共感が対談にあった。

日本人であるが故に日本社会の欠陥を濃厚に実感しながらチーム作りに務めたかつての代表監督。それに比べて、ヨーロッパから赴任した二人の監督は、遠くはるかな存在だった社会を単純な輪郭でとらえることが出来たのだろう。自分の「子供たち」だけに行動原理を叩き込めばよい。そして自分のサッカー哲学、戦略を導入することに成功した。

感動と興奮の祭典は終わった。存在感を世界に発信した日本と韓国の代表チームの残像は、それぞれの社会でどのように語り継がれていくだろうか。

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◇ワールドカップが終了して
糀 正勝/インター・スポーツ代表

5月31日に開幕した第17回ワールドカップは、6月30日のドイツ対ブラジルの決勝戦で閉幕した。

ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ等の多彩な攻撃陣を擁したブラジルが5度目の優勝を果たした。鉄壁のGKカーンを中心としたドイツは、組織的な攻守の切り替えによって最後まで善戦した。敗れたドイツは2006年ワールドカップの開催国として新たな準備を開始する。

31日間の長きに渡って開催された世界最大のスポーツイベントは、主催国の日本・韓国にとって最も実りの多い大会だった。トルシエ監督率いる日本は初めて決勝トーナメント進出を果たした。ヒディング監督率いる韓国はベスト4を達成した。

開幕戦のフランス対セネガル戦は、今回のワールドカップを象徴する試合であった。前回王者フランスは、2000年のヨーロッパ選手権をダブルで制覇して、今大会の優勝候補の筆頭に挙げられていた。

しかし、司令塔ジダンの怪我によって、優勝に向けたフランスのすべての予定調和が狂ってしまった。フランスは初戦でセネガルに敗れた。その後遺症もあり、ウルグアイ戦、デンマーク戦も1点も取れずに、予選リーグ終了と共に帰国した。

一方、もう一つの優勝候補アルゼンチンは、初戦のナイジェリアには勝ったが、続く因縁のイングランドにはベッカムのPK一発で破れ、最終戦スウェーデン戦には引き分けた。この結果、優勝候補のフランス、アルゼンチンが共にまさかの予選リーグ敗退となった。

アルゼンチンの敗退もまた、司令塔ベロンの不振が大きく影響した。ジダン、ベロン、さらにはポルトガルのフィーゴを含め、今大会における各国の主力選手の不調は、明らかにヨーロッパの過密なサッカー・カレンダーの影響を受けていた。それにしても、3大会連続で決勝進出を果たしたブラジルの底力からは賞賛に値する。

今回のワールドカップのもう一つの特徴は、セネガルの躍進に象徴されるように、トルコ、アメリカ、日本、韓国等の、言ってみればサッカーの新興国が数多く台頭したことだ。組み合わせに恵まれたとか、審判の判定に助けられた等、外野席からいろいろ批判されているが、それだけでは決勝トーナメント進出は果たせない。

まして、その上のベスト8、ベスト4進出は不可能だ。世界的なサッカーの普及が、サッカーのレベルを向上させた。

日本では、すでにトルシエ監督の後任探しが始まった。噂では自薦・他薦の多くの候補者があげられているが、どのような基準で選ばれるか大変興味深い。

すでに日本は今回のワールドカップで決勝トーナメント進出を達成しているだけに、新しい監督のハードルはかなり高い。中には韓国の準決勝進出に負けないような、優勝できる監督を、という声もあるらしい。

出来るならば日本のサッカー文化をさらに成熟させる代表監督であって欲しいし、そしてなによりも、2006年ワールドカップ ドイツ本大会に日本が出場できるような監督であって欲しい。

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◇沖縄の子供たちはなぜ強いのか
(早瀬利之/作家)

沖縄のゴルフ界が燃えている。
 
今年の日本女子アマ選手権は上位3名が、いずれも沖縄県出身の選手だった。決勝戦では宮里藍(東北高校2年、17才)と諸見里しのぶ(岡山県連、高校1年、15才)が対決して、諸見里が3エンド2で優勝候補の宮里を倒した。

決勝では、上原彩子(パームヒルズ、18才)と諸見里が対決し、上原が諸見里を振り切って、日本女子アマ選手権に初優勝した。

この3人はいずれも沖縄出身の高校生と、コース従業員である(アマチュア)。上原は今年から実施される女子プロツアーテストを第2次から受験できる資格を得た。

男子プロでは宮里藍の兄・聖志がミズノオープンで2位になり、今年の全英オープン出場資格をとった。

いずれも沖縄の選手は風に強い。もっと風が吹いていたら、宮里聖志が優勝していただろう。彼は沖縄のゴルフ場の研修生のとき、プロテストを受験して合格した「地場育ちプロ」である。

今、なぜ沖縄の青少年少女が強いのか話題になっている。

理由はある。

午後3時から5時まで、県内の練習場連盟と県ゴルフ連盟が、ジュニア育成のため、1,000円で練習できる制度をうち出している。沖縄には、ショートコースがたくさんあり、子供は1,000円出せばいつでもプレーできる環境がある。また、大人たちが子供の大会を企画し、日米の子供が一緒に戦うなどの環境も作っており、これらは、他県にはマネできない環境作りである。

沖縄には、強い中学生が何人もいる。いずれジュニアゴルフ界を席巻するだろう。