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第38回世界体操競技選手権大会第2次選考会 つり輪 冨田洋之


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第38回
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vol.249(2005年 5月 6日発行)
岡崎 満義/ジャーナリスト

「無観客試合」というペナルティの疑問

杉山 茂/スポーツプロデューサー
  〜オーストラリアサッカーのアジア転入を契機に〜

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「無観客試合」というペナルティの疑問
岡崎 満義/ジャーナリスト)

 「無観客試合」というペナルティには驚いた。サッカーW杯アジア予選、3月30日、北朝鮮対イラン戦がピョンヤンで行われたとき、観客数千人が暴徒化し、審判やイラン選手の生命をおびやかしたとして、FIFAが北朝鮮に対して処分を下した。
 
 6月8日の日本戦はホームのピョンヤンではなく「中立国」で、しかも観客を入場させないで開催する。北朝鮮サッカー協会には、2万スイスフラン(約176万円)の制裁金を科する、とFIFAは決めた。異例の重罰だという。北朝鮮のホームでの開催権を剥奪して、次の試合を「中立国」で行うこと、罰金を科すこと、それは理解できる。しかし「無観客」はまったく理解できない。ペナルティが重すぎる、ということではない。重い罰則としては、試合出場停止とか、除名処分とか、いろいろあるだろう。
 
 しかし「無観客試合」はどうにもわからない。私がサッカー界の常識・習慣・歴史をよく知らないせいかもしれないが、「無観客試合」は、次元を異にするペナルティだと思えて仕方がない。こんな発想はどこから出てくるのか、誰かに教えてほしい。
 
 罰則、処分というのは、規定に反した人間やチーム、団体に対してなされるもののはずである。今回の場合、当事者国である北朝鮮のホーム開催権を取り上げる、制裁金を科すところまでは理解できる。
 
 ところが「無観客試合」は北朝鮮だけが対象になるのではなく、対戦相手の日本も自動的に対象になってしまう。なぜ、何の責任もない日本が、ペナルティの半分を受けもたなければならないのか。第一、見る人もいないところでプレーする選手に対して、まことに非人間的なペナルティだ。
 
 中立国であっても無観客でなければ、スタンドのサポーターはほとんど日本人で占められる。それも不公平だ、というならば、日本人サポーターの数を制限すればよい。それでもなお不公平というならば、両国のサポーターは入場させないで、中立国その他の観客は入場させればよい。
 
 観客のいないプロスポーツなど、殆どナンセンスだ。無人のスタンドの中で行われるサッカーなんて、どんな意味があるのだろう。見られるからこその、プロスポーツである。はじめから、見られることを排除するプロスポーツなど、本来、あるはずがないし、あってはならないのだ。
 
 テレビで中継するから、見たい人は見られるというかもしれない。しかしスポーツの現場を生で見るのと、テレビカメラを通して、取捨選択された映像を見るのとは、質的にまったく違っている。テレビで見るスポーツにも、感動はある。スポーツの現場に何を見るか。見る人間の自由がそこにある。プロスポーツは選手と審判だけで作るものではない。見る人が加わって、初めてプロスポーツは成立する。見る人を排除して、プロスポーツはありえない。

 「無観客試合」というのは、そんなプロスポーツの大原則を犯すものだと思うがどうだろうか。たかが1試合、というのだろうか。FIFAは大きな勘違いをしているのではないか。プロ選手は「私」のためにスポーツをし、同時に「みんな」のためにプレーをする。「私」と「みんな」のつながりを断ち切るようなペナルティは、あってはならないと思う。


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