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第22回ユニバーシアード冬季競技大会 男子ハーフパイプ 小山功貴
(C)photo kishimoto


第22回
ユニバーシアード冬季競技大会
(2005/インスブルック)
男子ハーフパイプ
小山功貴

SPORTS IMPACT
  オリジナルGALLERY
(C)photo kishimoto
vol.234-1(2005年 1月19日発行)
滝口 隆司/毎日新聞運動部

スペシャルオリンピックスの話


杉山 茂/スポーツプロデューサー
   〜異常ではない北朝鮮サッカーの行動〜
松原 明/東京中日スポーツ報道部
   〜「プレゼンテーションの難しさ」〜
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スペシャルオリンピックスの話
(滝口 隆司/毎日新聞運動部)

 知的障害者の国際競技会「スペシャルオリンピックス」が2月下旬から長野県で開かれる。そのことはもちろん知っていた。ところが、大会の歴史や起源となると、知らないどころか、関心も持っていなかった。不明を恥じるほかない。
 
 先日行われた日本体育協会の理事会。会議の最後に野中ともよ理事が発言の機会を求めた。ジャーナリストでもある野中さんは、スペシャルオリンピックス日本の理事を務めている。「なぜ『スペシャルオリンピック』ではなく、『オリンピックス』とスが入るかと言いますと……」。そんな話から説明は始まった。
 
 「4年に1度ではなく、世界のいたるところでいつも『オリンピック』が開かれているという意味で複数形のスが入っているんです」。知的障害者が日常的にスポーツに親しめるよう、との思いが込められているのだろう。大会の起源がケネディ家の歴史に関係することも興味深かった。故ジョン・F・ケネディ米大統領の妹で、長女のローズマリーさんが知的障害者だったことはずっと公表されていなかった。彼女は家族から切り離され、修道院で生活を送っていた。その事実を新聞紙上で公表に踏み切ったのが、次女のユーニスさん。大会の創始者で、現在のスペシャルオリンピックス国際本部の名誉会長である。
 
 第2次世界大戦で戦死したケネディ家の長男の名を冠した「ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア財団」が1946年に設立され、ユーニスさんが運営に携わった。その活動として、ユーニスさんの自宅の庭に知的障害者が集まってプールで泳いだり、バスケットをしたりした。その「デイキャンプ」が、大会を始めるきっかけとなった。財団の援助を受けて1968年に第1回夏季大会がシカゴで行われ、77年からは冬季大会も始まった。長野で開かれるのは第8回冬季大会となる。

      ◇  ◇  ◇

 豪州メルボルンでは「第20回デフリンピック」がこのほど閉幕した。聴覚障害者の国際大会だ。日本からは102選手が10競技に出場。金3、銀7、銅1のメダルを獲得したが、大会前の記者会見では、全日本ろうあ連盟の活動に対する助成団体からの支援が打ち切られたという現状も報告された。
 
 「選手派遣にあたって2000万円の資金が不足しています。パラリンピックに比べるとデフリンピックは知名度が低く、企業に支援を求めても理解してもらえない。そういう中で頑張っていることを知って欲しい」
 
 日本選手団の団長を務めた田口博人さんはそう訴えていた。身体障害者の祭典である「パラリンピック」は、98年の長野パラリンピックで、日本国民に広く知られた。スペシャルオリンピックスもデフリンピックも、まずは一人でも多くの人が知ることから発展への一歩が始まると思う。
 
 「私を勝たせてください。たとえ勝てなくても、戦う勇気を与えてください」。スペシャルオリンピックスに参加する選手が唱和する誓いの言葉だ。スポーツという枠を越えて、生きる原点を教えてくれる気がする。


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