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東レパン・パシフィック・テニス2005 マルチナ・ヒンギス


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vol.288-1(2006年 2月 8日発行)
岡崎 満義/ジャーナリスト

大澤真幸さんの江夏豊論

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大澤真幸さんの江夏豊論
岡崎 満義/ジャーナリスト)

 言葉がむずかしい。多分、思考が深すぎて最後までついていけない。それでも発想と論理の展開が面白くて、ついつい読んでしまう。私にとって、大澤真幸さん(1958年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科助教授=比較社会学・社会システム論)の著作はそういうものだ。

 昨年暮れに出版された『美はなぜ乱調にあるのか―社会学的考察』の中に、「イチローの三振する技術」と言う魅力的な1篇がある。

 イチローがある時、「僕は、まだ、三振する技術を身に付けていない」と人を驚かす発言をしたことをとらえて、イチローの打撃の超絶技巧を分析しようとした文章である。三振だけはしたくない、と願うのがふつうの打者なのに、イチローはなぜ「三振する技術がまだない」というのか、という疑問を解こうとする。イチローほど三振をしない打者はいないのだから、イチローの言葉はいっそう謎めいて見える。

 大澤さんはそのことを解明するにあたって、江夏豊のピッチングを手がかりにしている。江夏は1968年、稲尾和久のもつシーズン最多奪三振353を大きく上回る401個の三振を奪った。とくに、354個目の三振は、ライバル王貞治からとる、と決めていた。4回に、この日8個目の三振を王から奪って、新記録とばかり胸を張ってベンチに戻ってみると、それは江夏の思い違いでタイ記録だった。

 それでも新記録はやっぱり王からとりたい。そのためには、次の王の打席まで、8人の打者からは絶対に三振を奪ってはならない。しかも試合は投手戦で、延長にもつれこんで最後に江夏自身のサヨナラ安打で決着がついたという、きわどい接戦だった。三振をとらないからといって、ヒットを許すわけにはいかない。投手をはじめ三振しそうな打者も含めて、8人からヒットを打たせずに凡打させなければならなかった。江夏はそれを実現し、みごとに王から354個目の三振を奪っている。

 「投手には、三振させない技術、バットにボールを当てさせてしまう技術があるのだ。優れた投手は、打者をボールの方へと誘惑することができるのである。打者はその誘惑にのって、ボールを打ってしまうわけだ。・・・三振させることにおいて卓越している者は、三振させないこと、打たせることにおいても優れているのである」と、大澤さんは書く。

 そして、劇画『巨人の星』の星飛雄馬の「大リーグボール1・2・3号」まで援用しながら、さらには、「江夏の21球」のやま場、石渡のスクイズをカーブの握りのまま、ウエストボールに切りかえて空振りさせた場面にも言及して、優れた投手の「三振させない技術」と「確実に三振を奪う技術」の相関性を説いていく。

 それを書くと長くなるのではぶくが、「三振させない技術」を、さらに次のような比喩を使って説明する。

 「今、あなたは部屋の中にいるとしよう。その部屋には、窓がひとつある。外は暗くて、窓の外は見えないが、誰かが、その窓からこちらを覗いているような気がしてならない。このとき、あなたは、窓から眼が離せなくなるだろう。これと同じように、巨人の打者たちは、江夏のボールから眼が離せなくなったのだ。要するに、彼らは、江夏のボールに魅入られたのである」

 イチローのいう「三振する技術」は、ちょうど江夏の「三振させない技術」と、いわばコインの裏表の関係にあるのだ。(イチローの技術解明については、もっと紙幅がいるので、ここでは触れない。)

 と、書いてきて、さて、これで「三振させない技術」や「三振する技術」がよく分かったか、といえば、やっぱり分かったとはいえない。ぼんやりとうなずくだけだ。しかし、このように書かれたものを読むと、ふしぎな快感がある。

 スポーツとおよそ縁のないと思われる社会システム論などという分野の人から、こういうスポーツ技術論が提出されるのは、大変面白く、ありがたいことだと思う。見るスポーツの可能性を、さらにふくらませてくれるように思えるのである。


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