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vol.300-1(2006年 5月10日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト

木村元彦「オシムの言葉」を読んでほしい
  ―'05年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞―


 2005年度第16回ミズノスポーツライター賞の表彰式が、4月26日に新高輪プリンスホテルで行われた。

 最優秀賞は木村元彦さんの「オシムの言葉〜フィールドの向こうに人生が見える」(集英社インターナショナル刊)、優秀賞は2篇。門田隆将さんの「甲子園への遺言〜伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯」(講談社刊)、日本経済新聞社編「球界再編は終わらない」(日本経済新聞社刊)。

 選考委員会を代表して、私は選考経過と選評を紹介した。その中で、木村元彦さんの「オシムの言葉」について、大要次のように話した。

 イビツァ・オシムさんとは、Jリーグのジェフ千葉を、2003年から率いる名監督として知られる人。新聞紙上などで断片的に伝えられるオシム監督の言葉が、いつもユーモアに溢れ、ウィットに富み、深い含蓄のある言葉であることに感嘆し、もっとオシム監督を知りたいと思っていたので、今回、木村さんの本を得て、まさに渇を癒やす思いだった。どのページをひらいても、魅力的な言葉に出会うことができる感じだ。

 たとえば「15歳から18歳の思春期が最も重要な時期だ。朝と晩で性格が変わってしまうようなこのデリケートな時期に、すぐ怒鳴り散らすような監督は向いていない。トップに上がる前の世代には、ミスを犯す権利を認めてやることも重要だ」―こういう人間観をもつ指導者に教えをうける若い選手たちは、何と幸運、幸福なことだろう、と思う。彼らはサッカーの技術や戦術だけでなく、何よりも人間、人生について、深く学ぶにちがいない。

 オシム監督は1941年、ボスニアのサラエボ生まれ。子供の頃から頭脳明晰で数学者になりたかったが、家庭の事情でプロサッカー選手となった。フランスリーグなどで活躍。1980年、ユーゴスラビア代表監督をつとめたあと、いろいろな国のクラブチームなどを指導した。しかし、旧ユーゴスラビアは5つの民族、4つの言語、3つの宗教が複雑にからむ、政治的に混沌とした地域。米ソ冷戦構造の崩壊とともに、1990年代の初めからついに内戦が勃発、妻子の安否すら分からない時期が3年も続いたという。そんな過酷な戦時下でも、オシム監督はオーストリアやギリシャを転々としながら、サッカーを続けた不死鳥のような人だ。

 「歴史的にあの地域の人間は、アイデアを持ち合わせていないと生きていけない。目の前の困難にどう対処するのか、どう強大な敵のウラをかくのか、それが民衆の命題だ。今日は生きた。でも明日になれば、何が起こるか分からない。そんな場所では、人々は問題解決のアイデアを持たなければならなくなるのは当然だ」

 「同時にサッカーにおいて最も大切なものもアイデアだ。アイデアのない人間も、サッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。バルカン半島からテクニックに優れた選手が多く出たのは、生活の中でアイデアを見つけ、答えを出していくという環境に鍛えこまれたからだろう」

 政治や国家について語る言葉が、そのままサッカーの言葉に移っていくところに、修羅場をくぐり抜けた人間の凄みのようなものを感じる。取材する者と取材される者との間に、深い愛情、尊敬の気持ち、信頼感があってはじめて可能になったインタビューで、木村さんの取材力=人間力は、みごとというほかない。

 それにしても、オシム監督のような人生経験豊富な監督が、旧ユーゴ地域からはるばる日本へやって来てくれたのは、まさに異文化交流のもっともしあわせな形であろう、と思う。スポーツは文化だ、と強く確信させる豊かなものが、この「オシムの言葉」にはある。選考委員の1人・作家の村上龍さんが「最優秀賞の上に超をつけたい位の傑作だ」と評したのも、むべなるかな、と思わせる出来栄えだ。

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