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vol.303-1(2006年 5月30日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト

組織力か個人力か
   サッカーW杯ドイツ大会の楽しみ

 サッカーW杯ドイツ大会を楽しみにしている。強豪揃いの予選リーグを突破して、決勝トーナメントに進めるかどうか。ブラジルはもちろん、クロアチアもオーストラリアもてごわい相手だ。予選リーグを勝ち抜く確率は50%位か。

 私は成績もさることながら、ジーコ・ジャパンの戦い方を、あらためてしっかり見たい、と思っている。大まかに言えば、2002年のトルシエ・ジャパンが“組織サッカー”でゲームを進めたのに対し、ジーコ・ジャパンは“個人サッカー”を基本戦術とする、という違いがあるといわれている。日本人の自我は強くない。自己主張もひかえ目だ。そういう弱い個を、組織力でカバーして戦うのが、これまでの日本流であった。

 ジーコ監督は個人の自由な発想、想像力を重視する。指導と称して、自分の考えや型を選手におしつけることはなかったようだ。鋳型にはめない。4年前、日本代表の監督に就任したとき「技術、体の俊敏さ、知性を持つ日本人は、南米式のサッカーが合う」と言っていた。私には、これはやや意外な見方に思えた。サッカーだけでなく、日本のスポーツはつねに、個人技は欧米にくらべて劣る、それをチームワークを中心にした組織力でカバーする、といわれつづけていたからだ。自由奔放にやるだけの、抜きん出た才能はない、といわれてきた。

 ジーコ監督の言葉は、日本人の若者には、個人としての力が十分にある。それを選手が自覚していないだけだ。いや、社会全体が、自分たちの個の力は弱いと思い込んでいるだけだ、と言っているようにも見える。

 個の力が弱いから、いつでも強い個から学ぼうと考える。古くは中国文明から言語を学び、近代は明治維新以来、欧米の物質文明を学んできた。学ぶべきものはいつでも外にあった。学ぶことの能力はきわめて高かった。

 ジーコ監督も自著の中で、鹿島アントラーズ時代のエピソードを書いている。いろいろミーティングをすると、選手たちは懸命にノートをとる。そして、ゲームの始まる直前まで、必死でノートを読んでいる。ゲームはノートに書かれたことが、そのまま出てくることはない。ゲームはいつでも応用問題であり、その時々の自由な判断が必要なのだ、と。

 「学ぶ」ことは日本人のDNAのようなもので、学ぶことが日本人は大好き、得意である。

 徹底的にお手本を学んだ個が、チームワークを第一に組織的に力を発揮していく以外に、日本人の進むべき道はない、というのが、おおむねこれまでの私たちの考え方だった。

 サッカーはチームゲームであるから、ここまでは個人技、ここからは組織力、というふうに線が引けるものではない。個人力と組織力はからまりあっているはずだ。それでも、たしかにイチローや中田英寿を見ていると、強い個人力というものを感じる。集団、組織の中に埋没してしまわないだけの、鋭い個人力を感じる。

 ジーコ・ジャパンでは中田、中村、中澤の“3中”に、特に注目している。私に、より個人力を感じさせてくれる選手だから。

 日本人はそろそろ外に「学ぶ」ことよりも、内から新しいものをつくり出す方向に歩きはじめるだろうか。その兆しが、こんどのW杯ドイツ大会で見られるのだろうか。サッカーの専門家に、その辺のことも頭において試合を解説してもらえるとありがたい。楽しみにしている。

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