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vol.314-1(2006年 8月15日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
映画「ジャンプ ボーイズ!」を見ながら考えたこと

 午後、ひとつ会が終わって、次の会まで4時間ほど間があいた。炎天下の銀座、映画館で涼をとろうと思って飛び込んだのが、「シネスイッチ銀座」で、「ジャンプ ボーイズ!」という映画を上映していた。ウィークデーの午後、さすがに館内の観客はパラパラと10人位しかいない。

 時間だけを考えて入ったから、どんな映画かも殆どたしかめていなかった。タイトルが「ジャンプ ボーイズ!」だから、アメリカ映画かと思ったら、台湾映画だった。

 若い体操コーチが、小学生6人を鍛えて、全国大会で優勝するまでを追ったドキュメンタリーのようだった。だから、ストーリーらしいストーリーはないも同然。やんちゃ坊主、いたずらっ子、ひょうきん者、泣き虫・・・の少年たちを、若いコーチはきびしく、ときにやさしく教えていく。ときどき、コンビニから駄菓子など賞品を買ってきて、技の優劣を競わせて、上位の者から好きな賞品をとらせる。小学生の先生や、子供たちの親のインタビューも入っている。オーソドックスな作りだ。

 撮り方に特別に目新しい工夫があるわけではない。淡々と無造作に、コーチと少年たちの姿を追っている。素朴といえば素朴だが、たとえば中国映画の「山の郵便配達」や「初恋の来た道」のような、素朴な感動も、それほど強いわけではない。素朴の中には、何かしら洗練されたものがあってもおかしくないのだが、そんなふうなものはない。

 B級ドキュメンタリーか、と思いながら、しかし、どこかふしぎな魅力があって、途中で寝てしまうことはなかった。

 その魅力とは、ひと言で言えば、子供たちの泥臭さである。小学生ながら、すでにそれぞれの性格がはっきりしはじめ、個性の片鱗らしきものも見てとれる。といっても、それはほんの前兆、予感のようなものではっきりした形にはなっていない。水々しく濡れた粘土の塊が、体育館の中にゴロンゴロンと転がっているような味わいである。この水気たっぷりに光る粘土は、若いコーチを通して、天の見えざる手によって、一体どんな形の人間につくられていくのだろうか、と思わせる魅力があった。思わず、その水々しい粘土に、私も手を伸ばして触れてみたい、と思わせるものがある。

 撮影も今どき珍しく、余計な技巧を使っていない。オーソドックスな手法で、コーチと子供たちを撮っている。素朴な粘土のような子供たちには、もっともふさわしい撮り方だと思った。美談に仕立てようというわけでもなく、これでもか、これでもかと感動を押しつけるわけでもない。ふつうの目線が届く範囲のものを、あっさりととらえ、投げ出しているように見える。

 今、日本のテレビはドキュメンタリーであれ、スポーツ中継であれ、ほとんどが情報バラエティ番組風の加工がほどこされている。かゆいところに手が届く、というが、届きすぎていささか興醒めのことが多い。

 テレビ関係者は、日本人はみな感動欠乏症か感動依存症候群だと思っているのではないか。映像の撮り方、番組の作り方が過剰サービスになっている。それでなくても、テレビというのは、何にもましてスーパー興奮誘発機器なのだ。そのことをしっかり考えて、ふつうの目線で、ふつうに伝えてもらいたい、と思うことがしばしばある。

 感動させよう、と意図しなくても、ていねいに作りすぎると、感動という水路一本になってしまう。とくに、スポーツはもっと大きく、深いはずだ。技巧に走りすぎると、人間や人生にもっとも大切な素朴なものが、こぼれ落ちてしまうのだ。

 オリンピックやサッカーW杯、甲子園野球はもとより、スポーツイベントの中継、そのドキュメンタリーの制作者には、ふつうの目線で伝える気持を強く持ってほしい。仕事における平常心、である。

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