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vol.318-1(2006年 9月12日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
北天佑の怪力とアンニュイ

 6月末、二十山(はたちやま)勝彦親方が、45歳の若さで亡くなった。元大関の北天佑である。私の好きな力士だった。リンゴを掌で簡単に握り潰すといわれた握力は、左右とも100キロを超えた。

 兄弟子の北の湖が、ちぎっては投げ、ちぎっては投げる強さだとすると、北天佑は持前の怪力からくり出す豪快な上手投で、相手力士を土俵にぐしゃっとめり込むほどに叩きつける、という印象だった。そんなときの北天佑は、色の白い肌がピンク色に染まって、苦み走った顔とともに、その美しさが忘れられない。バランスのとれた体は、仁王立ち、という言葉がふさわしかった。

 優勝2回、大関在位44場所、いつ横綱になるかと楽しみにしていたが、ついにその姿を見ることはできなかった。破竹の勢いで大関に昇進したとき、これからは横綱相撲をとるように心掛けるべし、とまわりから言われ、それが迷いにつながった、という。多分、横綱相撲の心技体を考えに考え、ついに迷路にはまりこんでしまったのかもしれない。

 名横綱双葉山は、幕内に上る頃まではうっちゃり専門の、どちらかといえば力強さが足りない力士だったという。それが稽古でじわりじわりと力をつけ、まことにバランスのいい心技体をつくり上げた。

 北天佑は並はずれた怪力の持ち主だったことが、逆にわざわいして、どこかでバランスを欠く相撲につながったのか。結局、腕力に頼る相撲から最後まで脱皮できなかったのか。惜しんでもあまりある逸材、横綱候補だった。

 名人・栃錦の切れ味鋭い上手出し投と二枚蹴り、足の裏に目がついている、といわれた初代若乃花の仏壇返しの大技、吊出し専門の起重機・明武谷、潜航艇・岩風、褐色の弾丸・房錦、内掛けの琴ヶ濱・・・と、得意技をもつ、個性豊かな力士の1人に、怪力・北天佑も入るだろう。

 北天佑のもう一つの特徴は、彼が漂わせる独得の空気であった。ひと言でいえば、アンニュイ。深々としたふところに、気だるい、ものうい、倦怠の霧がかかっているように見えた。

 引退間近の横綱・北の湖にインタビューするため、三保ヶ関部屋を訪ねたことがある。早朝からの稽古が終わって、土俵はきれいに掃き清められていた。土俵のそばの座敷でインタビューをしたのだが、そのとき、大関北天佑がまだまわし姿で残っていた。同行したカメラマンに、「ちょっとカメラを借して」と手に取り、何度もファインダーを覗いてみていた。「あんたらはいいなあ、カメラを持ってどんなところにだって行けるんだから」と、北天佑は心底羨ましそうに言った。そしてさらに「おれなんか、毎日、相撲をとっているだけだもんなあ」とつけ加えた。

 大関の位置からもうひとつ上に飛翔できず、ある種の疲れ、低迷が見える時期だったと思う。相撲をとっているだけ、という言葉に、投げやりなものは感じなかったが、アンニュイのようなものが一瞬、たちこめたような気がした。そのとき、北天佑は迷いの真最中だったのかもしれない。晩年の力士に悲哀を感じることはままあるが、アンニュイというふうなものを力士に感じたのは、北天佑だけである。怪力をもってしても、アンニュイというアメーバーのような生き物を、叩きつぶすことはできなかったのだろう。

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