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vol.319-1(2006年 9月19日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
野球の神様を久しぶりに見た

 松井秀喜選手のみごとな復活劇をテレビ中継で見て、心底シビレた。春の左手首骨折のシーンも見ていたから、いっそう感じるものがあった。124日ぶりの4安打のかため打ち、3試合目の豪快なホームラン、近頃、こんな気持のいい朝はなかった。

 マイナーリーグ1Aの試合に3試合ほど試し出場して、いきなり本番の指名打者での大活躍はさすがであった。バッティングに大事な左手首骨折という重傷、123日間のリハビリ中は、きっと焦りや不安もあったにちがいない。それに耐えての復活は、おみごと! というしかない。

 9月13日付の一般紙夕刊の、松井についての記事をむさぼり読んだ。この復活劇をどう伝えているか。記者の腕の見せどころだ。私には、東京新聞と毎日新聞が◎だった。

 東京新聞の記事は最後に(ニューヨーク、共同)とあった。「毎日同じことを続けてきた。仕方ない。ほかのことを禁じられていたのだから。約70センチのバットを右手に持ち、ティーに乗せた球をたたく。あとはランニングと遠投。・・・『毎日同じことをする楽しさもあるんだよ』。意外な答えが返ってきた。けがとの戦いの日々は、時間との競争でもあった。『こういうときでないと、できないことがあった。何かを考えることは大事。でも考えているうちは、身についていないということ。考えなくなるまで反復する』。スイングを速く始動し、極限まで球を引きつけることを理想とする。振るのは右手だけでも、両手でテークバックの位置を意識し、重心を確かめながら振る。最高のバランスを求め、フォーム固めを続けた。・・・『これしかしてはいけない、と言われても、一つのことを細かく考えてやればいい。周りから見られて変化がなくても、自分の中に小さなドリルがある。小さなことにこだわりながら練習するのは嫌じゃない』」

 取材がゆきとどいていて、復活劇の裏側がよく見えてくる。「共同」とあるだけで、記者の署名はないが、この記者の地道な取材の蓄積が感じられるとてもいい記事だった。

 毎日新聞は、背番号55のユニフォームを着て応援していたルディ・チャールズさん(57)というファンの声を収録できたのがよかった。「カムバックを見たくて球場に来た。骨折で落胆していたと思うが、そんな時もチームに貢献することを考えていた松井を誇りに思う。ヤンキースにとって絶対に必要な戦力だ」

 こういうファンの心をしっかりつかんでいるのが、松井のスゴイところだ。

 松井の活躍を見ていると、やっぱり野球の神様ってあるのかな、と思う。神様は気まぐれである。アテにできない。来てほしいところになかなか来てくれない。だからといって、偶然に思わぬところに来るわけでもない。来てほしい、と思う人はいっぱいいるから、忙しくてすべてにつき合っていられないのかもしれない。店屋ものの出前じゃあるまいし、そうそう頼まれたからといって、どこへでも出向く、という神様はいない。だから神様なのだ。

 心身のかぎりをつくして、欲が消え、フト透明な存在になったとき、神様がフワリとやってくるのか。松井は一人で懸命なリハビリをしたから復活できたのであって、神様とは関係ない、という人もいるだろう。しかし、野球の神様が松井のバットの上にフワリと降り立った、と思うことで、野球の奥深さ、面白さがいっそう増すように感じられる。秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる。野球の神様がいるとはっきりとは見えないが、松井のバットの快音に驚くことで、やっぱり神様がいるのかな、と思うのである。野球を見る幸福がそこにある。

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