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vol.331-1(2006年12月12日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
今年を振り返って考えたこと

 @日ハムの新庄剛志の引退が印象に残る。阪神→NYメッツ→日ハム、と動いた新庄には、ON時代とまったく違う現代性のようなものを感じていた。軽薄短小の感じ。プロ野球界のトリックスターとして、ファンを十分に楽しませてくれた。派手なパフォーマンスが嫌味にならないのは、彼のまじめな人柄によるものだろう。「これからは大リーグでもなく、セ・リーグでもなく、パ・リーグの時代です」と、日ハム入りの際に言い放った結構刺激的な言葉も、どこか憎めない愛敬があって、みんなにスンナリ受けとられた。予言通り、今年はWBCの王ジャパンを見ても、日本シリーズを見ても、まさにパ・リーグの時代、日ハムの年だった。

 新庄は団塊ジュニアの世代、1972年生まれである。同じ年に生まれたのが、ライブドア元社長ホリエモンこと堀江貴文さん。「心だって金で買える」とうそぶき、「50歳以上の経営者は引退してもらいたい」と挑発し、こちらも経済界のトリックスター的存在だった。いやヒール(悪役)だった、という人もあろう。しかし、ホリエモンはアッケラカンとして、過激なことを言ったり、行なったりしても、どこか憎めないところがあった。あれくらいの馬力がないと、閉塞感の霧は晴れない、と思ったりした。

 私は、1972年生まれ、ということで、新庄とホリエモンをひとつにくくって見ていた。彼らの動きが、世の中を刺激し、変化させていくのではないか、と思っていた。

 「額に汗して働く者を裏切るような存在は許せない」とする東京地検の正義感、重箱の隅をほじくるような捜査で、ホリエモンは失速した。新庄は自ら、体力の限界で引退した。世の中、「一歩後退」である。これをバネに「二歩前進」はあるだろうか。私には、その芽がまだ見えてこないのだが。

 AサッカーW杯ドイツ大会で、日本代表が1次予選で敗退したこと。日本チームが弱かったことに驚いたのではなく、メディアも評論家も殆ど希望的観測にもとづいて、サッカー報道を行なっていたことにあらためて驚いた。対オーストラリア戦で1勝を上げることが、アプリオリに確実なこととされ、それを基礎に予選突破の可能性が大、と見ていたわけだが、事実はまるで違った。テレビで中継を見たかぎり、オーストラリアのほうが単にFWの身長が高いというだけでなく、1人1人に体のキレがあった。日本が負けても意外ではなかった。全体的に動きが日本より上のように見えた。

 スポーツの批評は基本的に結果論である。結果がでてから、その必然性を分析し、あとづける。それは仕方のないことだ。しかし、希望的観測はやり方によっては防げることだと思う。こうあってほしい、と願うことが、いつの間にか、こうあるはずだ、となってしまう。

 1988年のオリンピック誘致合戦で、名古屋市がソウル市に敗れたときの関係者の、茫然自失ぶりを、テレビで見たときのことを思い出す。事前には、名古屋市が断然有利、と誰も疑う者はなかった。それがよもやの大逆転で、ソウルに決まった。そのとき、桑原武夫さんが「日本人は外国の動きが読めない」という意味のことを言ったのを聞いた。つまり、外国を冷静に客観的に取材できない体質があるのだ。最後に頼るのは、主観のつみ重ね、希望的観測、ということになってしまう。今年もまた、サッカーW杯でこの体質が露呈してしまった。

 Bポスティングシステムで、松坂、井川、岩村などの移籍にともなって、100億円を超すマネーが飛びかったこと。日本は大リーグへの選手供給基地としての性格を、ますます強めていきそうだ。世界の最高峰メジャーリーグでやってみたい、という選手の気持は強まる一方だ。ファンも衛星放送でリアルタイムでメジャーリーグが見られるから、選手の流出にあまり抵抗がない。日本の野球の価値はどこにあるのか、しっかり考えるときだ。アジア・太平洋への視点をもつことが、ひとつの鍵だろう。

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