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vol.328-2(2006年11月24日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
「鉄腕」の引退記事

 松坂大輔が巨額の「移籍金」をもたらして西武を去り、米球界への挑戦を目指す桑田真澄は21年間つけた巨人の「18番」を脱いだ。小笠原道大は日本一の余韻も冷めぬ間にFAで巨人に入る。ポスティングでの大リーグ移籍が確実なヤクルトの岩村明憲、阪神の井川慶・・・。これまでの野球人生に一区切りをつけ、それぞれが新天地でのスタートを心に期しているだろう。今、球界は来年の出発を前に、少し寂しい別れの時期でもある。

 そんな話題でにぎわう中、オリックスの「鉄腕」が引退した、というニュースがあった。打撃投手を28年間務めた水谷宏さん。60歳の還暦を機に、ついにマウンドから降りることになったという。

 三重高―全鐘紡を経て1968年にドラフト1位で近鉄に入団。10年間の現役生活で残した成績は、通算116試合で5勝12敗。ドラフトの同期には星野仙一や田淵幸一らがいた。引退後、西本幸雄監督から「打撃投手になってくれないか」と勧められたのは、水谷さんのようなサイドスローが貴重な存在だったからだ。当時は阪急の山田久志ら、下手投げや横手投げの投手が多い時代だった。以来28年、近鉄とオリックスの合併を経て、最後はオリックスのユニホームでマウンドに立ち続けていた。

 「みずさん」と呼ばれていた水谷さんは、高知で行われていたオリックスの秋季キャンプで最後の登板を終えた。涙、涙の水谷さんをオリックスナインは胴上げし、感謝の意を表したそうだ。日刊スポーツによれば、1日150球で年間約4万球。28年間で112万球は投げていたという。その数字にこの仕事一筋のすごみが伝わってくる。

 スポーツ紙各紙がこのニュースを21日付で伝えていた。私には、打撃投手の人生を書き込んだ記事に、「なんだか久しぶりだなあ」という気がした。ここ10年ぐらいは、オフになれば、ストーブリーグの話題は一流選手のFAやトレードでほとんどが占められていた。球界から去っていく人たちを球団ごとに短く紹介する記事もあるが、最近はその扱いがどんどん小さくなっているようだ。

 しかし、水谷さんの記事は「還暦の鉄腕 引退」というような見出しがついて大阪ではなかなか大きい扱いだった。こういう陰の存在にキラリと光を当てた記事、最近はまずは見当たらないし、ニュース価値も低くなりつつあるのかも知れない。今回もオリックスの秋季キャンプ最終日のことだ。残念ながら、記者の少ないわれわれのような一般紙は取材には行っていない。しかし、担当球団に密着するスポーツ紙の記者はこういう取材から「ネタ」を拾う。まさにチームに密着しているからこそのクリーンヒットの記事だ。

 スポーツにいろんな角度から光を当ててみる。その角度が最近はあまりに一方向ばかりではなかったか。「みずさん」の記事から漂ってくる懐かしい匂いに、スポーツ記事が失いつつあるものを思い出したような気がした。

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