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vol.367-2(2007年8月30日発行)
五味 幹男 /スポーツライター
気持ちの表れるプレー

 勝利以外なら指揮官交代という報道もされた北京五輪最終予選の初戦は、反町監督が「再生ボタンを押しているよう」といったとおり、まさに勝ち点3という結果以外はチームとしてほとんど収穫のない試合だった。

 最終予選で何よりも重要視されるのは結果だ。たとえどんな試合運びであれ、最終的に勝利を収め、勝ち点を積み上げることができれば北京への扉を開くことができる。しかし、予選が11月末までという期間をかけて行われることを考えれば、やはりその内容も無視できない。残念ながら初戦を見た限りでは、この試合を底として、これから右肩上がりに調子を上げていくような気配を感じることはできなかった。

 そのような印象を抱いてしまったのは、「気持ちの入ったプレー」が見られなかったことに理由のひとつがある。では、どんなプレーをもってして「気持ちの入ったプレー」というのか。たとえばスライティング・タックルが挙げられる。私見ではあるが、この試合で、日本代表が見せたスライディング・タックルは、本田拓也が一度見せただけであった。

 スライディング・タックルは、ある意味でいちかばちかのプレーだ。プレースピードを瞬間的に上げることはできるが、反面、体を投げ出してボールに向かっていくため、かわされてしまえばカバーリングの動きはできない。また、見た目が派手なだけに、ファウルを取られてしまう可能性も高くなる。タックル後、体勢を立て直せなければその瞬間は10対11になるわけで、指揮官の中にはそれを望まない人もいるかもしれない。

 しかし、一発で仕留めなければならないからこそ、スライティング・タックルでは他のプレーに比べ強い気持ちが必要となる。ここでいう「気持ち」とは決意や集中力を含めた総称である。そして、そうした心の準備は他のプレーにも間違いなく伝播し、観る者にも伝わる。欧州トップチーム同士の試合に内容豊かなものが多いのは、技術の高さもさることながら、選手個々にそうした「覚悟」があるからに違いない。

 前半終了近くの青山直晃のプレーも覚悟が足りなかったように感じる。ベトナムからのクリアボールがワンバウンドしてきたところを相手エースのレ・コン・ビンと競り合った場面だが、ツーバウンド目が足元に落ちてくるのを待った青山に対し、レ・コン・ビンは体を跳ね上げて出来る限り高い位置でボールに触ることで青山をかわした。結局、ゴールには結びつかなかったが、青山が体ごと激突することもいとわないプレーをしていたなら、チャンスを与えることにはならなかったはずである。

 確かにベトナム相手では、そこまで無理をする必要はなかった。技術のみならず体格でも明らかに日本が上だった。梶山洋平はたとえふたりに囲まれてもビクともせず、実際以上に大きく見えたほどであり、それは少なからず他の選手にもいえたことだった。

 そこでわざわざリスクを伴うプレーを選択する必要はないかもしれない。だが、だからといって、いざそうしたギリギリのプレーが必要とされる相手と戦ったときにできるようになるかといえばそれは疑問だ。「気持ちの入ったプレー」とは、プレーに対する「姿勢」である。普段できないことはいざやろうとしてもそうそうできるものではない。

 時を同じくして韓国で戦うU-17日本代表がフランスに敗れ、予選リーグ敗退となった。しかし、それでも彼らの将来に小さくない可能性を見出せるのは、彼らが最後まで戦っていたからだ。届きそうもない相手に対し、それでも体をめいいっぱい伸ばしてスライディング・タックルをしかけていく彼ら姿には「覚悟」が見えた。ボールへの執念が感じられた。

 スライディング・タックルだけが気持ちを表現するプレーとはいえない。むやみやたらにスライディング・タックルをすればいいというつもりもない。だが、背水の陣で臨む反町監督のためにも、サポーターの期待に応えるためにも、そして、自分たち自身のためにも、次のサウジアラビア戦では彼らなりの「覚悟」を見せてもらいたい。

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