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vol.345-1(2007年3月27日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
フィギュアスケートの新時代

 3月24、25日のフィギュアスケート世界選手権をテレビ中継で楽しく見た。フリーの最終滑走6人の中にでてきたカロリーナ・コストナー(21歳・イタリア)は、ミケランジェロの彫刻がスケートしているような感じ、エミリー・ヒューズ(米)の知的な雰囲気、キム・ヨナ(16歳・韓国)の柳に風、というしなやかな感じのスケーティングなど、大逆転での金、銀のメダルをとった安藤美姫、浅田真央以外でも、まことに多彩、気持ちよく見ることができた。メダルを日本2、韓国1のアジア勢で独占、フィギュアの新時代来たる、と感じさせた。

 トリノ五輪の屈辱、右肩の故障など、マイナス要因を抱いた19歳の安藤美姫は優勝の瞬間、ぼうだの涙、ショートプログラムでまさかのジャンプ失敗の16歳・浅田は驚異的なフリー演技で安藤と僅差の2位で、これまた大粒の涙、どちらの涙も納得しながら見ることができた。エキジビションで安藤と誕生日が同じという歌手・絢香さんの生出演の歌で滑ったのも、大変なサービス精神だと感心した。

 楽しく見ながら、フト思ったことがある。昔、フィギュアにあった規定種目、コンパルソリーという競技のことだ。連続する2つか3つの円形を描き、その上をはみださないようにゆっくりなぞっていく、ときに反転したり、また戻ったりという、まことに地味なスケーティングだった。伊藤みどりさんがスケートを始めた頃は、まだこのコンパルソリーがあったように思う。たしかに見た目には、何の面白さもない。コンパルソリーにかわって、フリーの短縮版のようなショートプログラムがでてきたのもよく分かる。こちらは華やかで、テレビ向きである。

 しかし、ショートプログラムとフリーを見ていると、2分強と4分強というスケーティング時間のちがいはあっても、内容は殆ど変わらないのではないか、と素人目には見える。もう一度、コンパルソリーをとり入れて、静と動、あるいは陰と陽のスケーティングの奥深さを見てみたい気がする。フィギュアスケートの心技体は、コンパルソリーとフリー演技の組合せの中で、より感じとられるのではないか。スケートの刃が、定められた図形からはずれないように、慎重に、ていねいに、ゆっくりトレースしていく、という地味なスケーティングだが、撮影角度やクローズアップ技法によっては、その緊迫感がうつし出せるのではないか。氷を削る音、スケート靴の刃が氷を削っていく様、そのときの表情などをアップでとらえられないものだろうか。テレビ画面を2つに割って表情とスケート靴の刃を同時にうつし出すことで、選手たちの緊迫感が生き生きと伝わってくるのではないか。

 スポーツはテレビの出現で次々に変化してきたが、地味だとして捨て去られたものが、新しいカメラワークで、よみがえってくることもあるのではないか。時代の流れは逆転できず、ないものねだりかもしれないが、フィギュアのコンパルソリーなどは、もう一度見直されてもいいのではないか、と思ったりする。

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