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vol.350-1(2007年5月 2日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
いかにして信頼を得るか
―森沢明夫「ラストサムライ」を読んで―

 2006年度第17回ミズノスポーツライター賞の優秀賞を受賞した森沢明夫さんの「ラストサムライ―片目のチャンピオン武田幸三」(角川書店)について、書いておきたいことがひとつある。それは、取材する側と取材される側の微妙な関係、つきつめれば、両者の間の信頼ということだ。

 武田幸三は元新日本キックボクシング協会ウェルター級チャンピオン。試合を見に足を運んでくれるファンに、とことん満足してもらうために、勝っても負けてもKO勝負で見せたい、と願い、そのために自分の体力気力の限界まで、サディスティックと思われるほど鍛え上げようとする男である。初防衛戦で左目を負傷、障害を負ってしまったまま、それを隠して7年半も戦った不死身の男である。

 そんな男に殆ど一心同体といえるほどに密着取材して書き上げたのが、この作品である。森沢さんは取材のはじめに「せっかくドキュメントを書くからには、全部知りたいんです。もしかしたら靴の裏についたゴミまで見せてくれって言うかも知れませんけど、そのつもりでお願いできますか」と武田に頼んでいる。

 武田は「何でもします。宜しくお願いします」と応じ、事実、以後の取材は「こちらが恐縮するほどの丁寧な対応で」接してくれた、と森沢さんは書いている。

 そんな打てば響く関係を作ることができたのは、いつの間にか日本人が忘れかけている気高さ、ひたむきさを、武田幸三の中に発見し、それを描きたい、と森沢さんが強く願ったからこそだ。「武田が人生を愚直に生きるのなら、私も愚直に書かなければならない」と思い定めて、取材し原稿を書いたことによる。いわば、一期一会のような出会いの中で書き上げられた作品なのだ。今や日本から消えかかった、ハングリー精神の現代的なあらわれが、ここにある、と思わせる作品になった。キックボクシングを超えて、2人3脚でひたむきな人生を歩いた、といえるかもしれない。2人の強い信頼感が根底にあって、はじめて生まれたものだ。

 最近、「輝ける文士たち」(文藝春秋刊)という写真集を出した樋口進さんは、私の先輩だが、この人の写真術の核となるのは、対象となる作家とのゆるがぬ信頼感である。

 「写真の神髄は“やらせ”にある」などと、ドキリとするようなことを平気でいう。柴田錬三郎がキャデラックの上に寝っころがっている写真、今東光が夫人に散髪してもらっている写真・・・さりげない日常風景のスナップのようにみえて、それは樋口さんがこうしてほしい、と注文を出して、つまり“やらせ”でしてもらったポーズである。つくりものである。しかし、それは何とそれぞれの作家の人間性をよくうつし出していることか。

 カメラのシャッターを押すまでに費やされた長い時間があって、はじめて可能になった、日常のようにみえて非日常の写真がとれたのである。「編集者は作家の家へ行くと玄関から入るが、樋口は勝手口から入る」と言われた。作家本人はもちろん、夫人、家族の信頼も厚かった、ということである。そういう信頼を築いてしまえば、カメラを向けるところ自在の風景がひろがる、というわけだ。

 樋口さんは写真部をはなれたあと、新潮社の麻生、講談社の榎本、文春の樋口の3人で「文壇冠婚葬祭係」と呼ばれた。もちろんそれは、文壇という目に見えない共同体がたしかに存在していた時代のことだ。今はない。

 しかし、取材にもっとも大事なものは取材対象との信頼関係である、という事実は、むかしもいまも変わらない。

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