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vol.365-2(2007年8月16日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
球音が聞きたい

 8月11日(土)、ほぼ1年ぶりに横浜球場へ出かけ、横浜ベイスターズ対阪神タイガース戦を見た。お目当ての工藤公康投手の、年齢を感じさせない力投も見られて、大いに満足した。横浜・相川捕手の好リード、勝ち越しヒットも打って、ベイスターズのバッテリーが光った。

 私の席は阪神ファンの真っ只中、甲子園が引越してきたかと思う大声援に包まれての観戦だった。センターのスコアボードの左から左翼席、三塁側からバックネット裏まで、黒と黄色の虎マークのユニフォームを着たファンがぎっしり。タイガースの攻撃になると、のべつまくなしの応援、メガホンを打ち鳴らし、声をかぎりに歌い・・・と、一瞬の空白もない耳を聾せんばかりの声援である。次から次に応援歌も変わる。球場半分がよくもあれだけ声を合わせて矢継ぎ早に歌がでてくるものだ、と感心した。

 私は阪神ファンでも横浜ファンでもない。工藤、金本のベテランから、新しい力の林、村田、吉村、桜井などの選手をじっくり見たいと思っている者にとっては、少々騒音度が高すぎた。

 数年前、桑田真澄投手がシーズンに1日だけ、鳴り物入りの応援をやめて、「球音を聞く日」をつくろう、と提案したことがあったが、たしかに球音を聞けたらどんなにいいだろう、と思った。

 米大リーグのスタンドを見ていると、応援の基本は拍手とブーイングのように思える。特にすばらしいプレーには、スタンディング・オベーションをもってこたえる。ブーイングは相手チームに多いが、味方チームに対しても、凡ミスにはときに容赦なく浴せられる。基本的に「批評性」が底にあって、あとはとにかくゲームを楽しもう、というふうに見える。それにくらべれば、日本の場合は何よりも選手と一体となって、まるでファンもプレーしているかのごとき錯覚をもとに、ひたすら汗を流しつづける、というものだ。

 甲子園の高校野球の母校へのひたむきな応援の進化(?)したのが、阪神応援団の応援、という感じである。手に汗を握って、球場全体がシーンと静まり返る。速球がミットに納まるズシンという重い音や、カーンと乾いた音をひいて打球が野手の間を切り裂いていくような、野球ならではの球音を聞くことはできないものだろうか。応援団は言うかもしれない。「野球は目で見、耳で聞くだけではない。ファンも全身全霊をぶつけてはじめて野球が楽しめるのだ」と。

 半分妥協してもいい。試合の前半は目と耳派へ、後半は全身全霊派へ、楽しみを与えるようにできないか。とにかく、球音を聞きたいのだ。

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