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vol.374-1(2007年10月17日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
28年目の「空白の1日」事件

 久しぶりに「恩讐の彼方に」という言葉を思い出した。10月13日、14日の深夜、日本テレビの「スポーツうるぐす」で、28年前の「空白の1日」江川事件を再現し、その後につづく"空白"をもみせてくれたからだ。「空白の1日」事件の主役、江川卓さんと小林繁さんが28年ぶりに対面、事件について真摯に話し合い、江川さんが28年前のわがままを詫び、小林さんがニッコリ笑って受け入れ、2人は和解したのだ。

 1978年11月21日、巨人はその年のドラフト会議の直前に、前年に指名したチームの指名権が次年のドラフトの前々日に失効となることをドラフト条項の中に発見、その「空白の1日」にまんまと江川投手と入団契約を結んでしまった。しかし、そんな非常識が通用するわけもない。ドラフト会議では巨人が出席ボイコットする中で、阪神が江川投手を指名した。大騒動になって慌てた金子鋭コミッショナーが裏面工作、江川投手はいったん阪神に入団、ただちに巨人のエース小林投手と電撃トレードを行い、巨人・江川、阪神・小林が実現した。唖然とする早業だった。まさに世紀の大トレード劇、野球界の枠を越えて、社会的な事件となった。

 それからのち、実際のグラウンドでは江川・小林両投手は、すばらしい活躍を見せた。2人ともファンを唸らせるピッチングだった。しかし、小林投手はプロ通算139勝をあげた後、31歳で引退。一方の江川投手はその4年後、通算135勝、32歳で引退している。ファンから見れば、あれだけの実力者としては、意外に短い現役生活だったと思った人が多い。私には、肩や肘の故障よりも、「空白の1日」事件の巨大なストレスが、2人にボディブローのようにじわりと効いてきたように見えた。

 今回、2人の初めての対面は、日本酒メーカーのCM、ふしぎなドキュメンタリー風CMの舞台で実現したようだ。CMはあくまでヤラセ、といわれるが、まっ白な背景の前に、2人が別々の入口から出ていく緊張感は相当なものだった。2人ともCM撮影と割切っての対面であるはずなのに、カメラの前で2人は初めぎこちなくお辞儀をし、握手し、話した。ヤラセを超えて、本気なものが2人を包んでいた。「これで残りの人生は変わるかなあ。何かあるたびに、すぐ空白の1日がもち出されてきたからなあ。でも、あの1日がなかったら、おれは大した野球人生を送ってないかもしれないなあ」と小林さんが言えば、江川さんは「ホッとできる瞬間をつくっていただいて、本当によかった。あの事件以来、それはずっと自分の中につづいていた。1回会って、申し訳ありませんでした、と言えたらひとくぎりつくと、ずっと思ってきました」と、言った。

 事件当時の記者会見、翌年の小林投手の獅子奮迅の大活躍、翌々年の江川・小林初対決の試合・・・などの貴重なVTRをはさみながら、2人は透明な酒のグラスを片手にもちながら、まっ白なバックの前で(それはまるでシンプルな能舞台のようにも見えた)、次第に虚心坦懐な話ぶりになっていった。単なる回想ものの企画という粋をはみ出してしまった2人の姿を見ていて、私はひどく感動した。設定の舞台裏をチラリと垣間見せたのも、逆に真実味があった。このCMフィルムを、スポーツうるぐすという生番組で、江川さんが少し解説をしながら見せるやり方が、いっそう感動を深めたような気がした。江川さんはウルウルしていた。それがさらにリアリティを強めた。短いCMとして撮影された作品だったが、感動的なドキュメンタリーになっていた。今後、このVTRが日本酒メーカーのCMとして2次加工されるのだろう。そうなる前の生な原材料の強さを、十分に味わうことができた。偶然目にしたのだが、思いがけない拾いものをしたような気持だった。しかもこのCMの制作ディレクター、つまり仕掛人が、博報堂の宮崎晋さん。彼自身が画面に出てきて、私は思わず、あっ宮崎さん! と叫んだ。彼は28年前、スポーツ総合誌「ナンバー」創刊の宣伝イベントのすべての要として力をつくしてくれた人だ。いい作品を見せてもらい、うれしかった。

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