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vol.375-2(2007年10月25日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
ヒルマン監督のサービス精神

 日ハムのヒルマン監督が来季から、米大リーグのカンザスシティ・ロイヤルズの監督になることが決まった。選手、指導者として大リーグ経験ゼロの人が監督になるのは、きわめて珍しいことだという。日本での実績が認められたのだろう。

 父親がアメリカン・フットボールの選手時代につけた背番号が22、それを自分の背番号にしたヒルマン監督にとって、まさに「私の人生最良の日」だったにちがいない。カルメン、故郷へ帰る、ではないが、昔風にいえば、故郷に錦をかざって帰る、という風情である。1985年にワールドシリーズで制覇したあと、"万年最下位"に低迷するロイヤルズをどうたてなおすか、ヒルマン監督の手腕が大いに期待されるところだ。

 監督就任の記者会見では、日米の報道陣がたくさん集まったようだ。昨年、日ハムを日本一に導き、今年もペナントレースに優勝して、中日ドラゴンズと日本一の座を争うことになっている。ヒルマン監督に日米双方から注目が集まるのは無理もない。

 会見の冒頭が日本語で始まったのに驚いた。「今日はありがとうございます。私の名前はトレイ・ヒルマンです。・・・」。昨年、日本一になったとき、お立台の上で「北海道のファンは世界一です」と日本語で叫んだことを思い出した。

 会見の中でヒルマン監督は次のように語った。(日刊スポーツとスポーツ報知)

「私は5年間メジャーリーグの監督だった。日本のメジャーリーグです。日本の野球は米国に匹敵するレベルにあります」

「うちのチーム(日ハム)の中堅でリードオフマン(森本選手)は英語で話そうとするのが好きで、私のところに来ては『カントク!エンジョイ、プレーハード、ザッツオール』と話して立ち去る。とてもシンプルなことだが、それこそ大事なんだ」

 テレビでチラッと記者会見を見、新聞で会見内容を読んで感じるのは、ヒルマン監督のサービス精神、それを裏打ちする日ハム体験の重さである。野球はどこでやっても野球だ、大リーグだからといって、別のものをやるわけではない、という信念の持主のようだが、それは日ハムの5年間、下位低迷のチームを後半の2年、優勝に導いた経験は、大きな自信になっているようだ。

 会見の冒頭、日本語で始めたことに、日米双方の報道陣はもちろん、それを見るファンも驚いた。意表をつく新鮮な響きだ。しかし、それがお世辞的挨拶ではなく、充実した日本(野球)体験に裏打ちされた内容になっている。それがあるから、冒頭に日本語で話し始めるサービス精神が、実に気持ちよくこちらに伝わってくる。口先だけの日本語ではない。日本体験をきちんと語ることで、来季のチーム作りを具体的にイメージしてみせた。異文化日本の中での野球体験を等身大に語ることこそ、最大のサービス精神というものだろう。空虚で大げさな、異国趣味風な飾り言葉はいらない。異国体験をエピソードをまじえて、ユーモラスに、正確に話してくれることこそ、最大のサービス精神の発露である。自己省察がキチンとできる監督だ。

 ヒルマン監督の発言の背景には、野茂、佐々木、イチロー、長谷川、松井秀、井口、田口、松井稼、松坂、岡島、大家、斎藤、大塚・・・などの大リーグにおける活躍がある。それをふまえて、日本体験を語ってみせたヒルマン監督のサービス精神に、脱帽した。気持のいい大リーグ入りだ。

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