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vol.382-1(2007年12月20日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
オシム監督とトルシエ監督

 サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム監督が倒れて、指導がつづけられなくなって、残念至極だった。すぐれて“言葉の人”であるオシム監督は、日本のサッカー文化にとどまらず、スポーツ文化に厚みを加えてくれると期待していたから、中途挫折は惜しんでも余りあるものだ。病気が回復しても、年齢からみて、もう一度、代表監督に戻ることは無理だろうが、「オシムの言葉」を書いた木村元彦さんあたりに、オシム・サッカーの集大成を書いてもらいたい、と切に願う。オシム・サッカーの集大成の場は日本だったわけだから、「日本のオシム、オシムの日本」を書いてほしい。

 と思っていたら、「ナンバー」694号にその木村元彦さんが、オシム監督に対する熱烈なラブレターを書いていた。明治初期、日本にやって来たフェノロサが西欧美術のコピー化を排し、日本美術の独自性に光をあてた例をひきあいに出して、オシム監督の「日本サッカーを日本化させる」意志を、これからも継承すべきだ、と強く主張している。同感だ。西欧のコピーでない美術と同様、コピーでない日本サッカーがあることを、オシム監督が模索した努力を、木村さんは高く評価している。

 12月19日の新聞で、元日本代表監督のフィリップ・トルシエさん(52)が、
JFLのFC琉球の総監督に就任する、と報じられた。これはうれしいニュースだった。'98年に日本代表監督になり、'02年の日韓W杯で日本を初めて決勝トーナメントに進出させた。その後、フランス1部リーグのマルセイユ、カタール、モロッコの代表監督などを歴任していた。

 オシム監督とはちがうタイプの“言葉の人”だった。機関銃のように言葉を発し、全身を使っての指導法だった。日本代表監督を経験したトルシエ監督が、J1、J2の下のJFLの監督として日本に戻ってくる、というのが何ともユニークで面白い。日本人の感覚からすれば、日本代表監督をしたのだから、そんな格下のチームの監督をすることはあるまい、と思うのが普通だろうが、そんな権威主義や打算主義をふり捨てて、FC琉球に飛び込むのは、本当にサッカーが好きだからできることだろう。星野仙一さん張りの熱血指導は、沖縄の地によく似合う。

 ジーコ監督にも、いつかもう一度、日本に戻ってほしいものだ。二度目の日本、という指導者からは、最初の日本のとき以上に、豊かなものが与えられそうな気がする。何事でも、リピーターこそ大事だ。野球でもロッテのバレンタイン監督は、二度目で成功している。オシム監督が元通りに健康を回復して、高齢でももう一度、日本のサッカーの現場に戻ってきてくれることがあれば、どんなにうれしいだろう。そんな夢を見たい。

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