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vol.346-2(2007年4月6日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
センバツ優勝、常葉菊川の陰の立役者

ダークホース的な存在だった常葉菊川(静岡)が、今年の選抜高校野球大会を制した。強打者・中田翔を擁する大阪桐蔭(大阪)や注目の左腕、近田怜王を軸に総合力の高い報徳学園(兵庫)、昨夏の甲子園メンバーが残る帝京(東京)などが優勝候補に挙げられた中で、大会前は予想もつかなかった結果に終わったといえるかも知れない。しかし、一戦一戦、取材していくごとに、このチームがなぜ優勝できたかが分かるような気がした。そこには「陰の立役者」とも言える人物がいたからだ。

 常葉菊川を全国制覇に導いた原動力は、田中健二朗という左投手の存在だった。速球は130`前後しか出ない。ところが、そのストレートを相手チームが全く打てないのは、手元で微妙に変化しているからだった。1回戦では大会屈指の右腕といわれた仙台育英の佐藤由に投げ勝ち、続く今治西戦では17奪三振。準々決勝では大阪桐蔭を1点に封じた。熊本工との準決勝は疲れが出て途中でマウンドを降り、大垣日大との決勝の先発は2年生投手に譲った。しかし、先発投手が崩れるとすぐさま登板。辛抱強い投球で最後の逆転劇を呼び込んだ。

 田中は元プロ選手に投球の基本を徹底的に教え込まれていた。元中日の佐野心(こころ)・野球部長(40)だ。佐野さんは、浜松商−専大−いすゞ自動車を経て91年オフのドラフト6位で、外野手として中日に入団した。しかし、選手としては芽が出ず、4年で退団。そこで母校、専大に戻って教員免許を取り、2年間の教員生活を経てアマチュア復帰を認められた。いわゆる「教諭特例」でアマチュア資格を得た元プロ選手としては12人目だった。2002年の春のことだ。

 佐野部長は田中に来る日も来る日も真ん中だけに投げる練習を続けさせた。コースに投げ分けるようになったのは、センバツ開幕1カ月前の2月下旬だったという。こうした「ど真ん中投球」で安定した制球力を身につけさせ、さらには元中日の今中慎二投手(現野球評論家)の腕の角度を参考に、リリースポイントの高いフォームでストライクゾーンの高低を使うよう指導した。

 「ピンチで何を頼れるか。それは自分の技術しかないんですよ。ボールは腕で投げるのであって、気持ちだけで投げられるものではない」

 技術を徹底して追求する姿勢は、きっとプロの生活を経て身に染み付いたことなのかもしれない。「気持ちで投げました」「気持ちで打ちました」という選手は多い。しかし、この人は安直な精神論など一言も使わず、「ボールは腕で投げる」という基本を教え込んだのである。

 西武の裏金問題でプロとアマの関係は再びぎくしゃくしている。だが、佐野さんはこう言った。「プロとアマの間に線は引かれていますよ。でも、野球はどこへ行っても野球です。ぼくは、高校時代から指導者になる夢を心の片隅に持っていました。アマチュアに復帰して6年目になりますが、ぼくはただ、子供たちと泥んこになって野球をやりたかっただけです」。

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