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vol.348-2(2007年4月20日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
なぜ野球はだめなのか

 「そんなことが禁止されていたの?」から始まり、「ところで、なぜ野球だけがだめなの?」と続く。そして、最後は「なんか、変だ。時代に合っていないんじゃないか」。

 ここまで書けば、察しはつくだろう。プロ野球、西武との裏金供与に関係した岩手・専大北上高で発覚したスポーツ特待制度の問題だ。これが日本学生野球憲章に違反するとし、日本高校野球連盟は専大北上だけでなく、全国約4,200校の加盟校を実態調査する方針を打ち出した。そこで議論が沸き起こっている。特待制度の是非だ。

 冒頭に書いたような問い掛けをする人は、一様に「なぜ野球はだめなのか」と聞くが、答えを知ろうとはしない。すぐさま、他のスポーツと同様、野球も特待制度を認めるべきだ、という結論になる。そこに付いてくる論理は「一芸に秀でた選手の才能を恵まれた環境で伸ばすことが悪いことか」「裕福でない家庭の子は私学で野球はできないのか」「特待制度を採用するかどうかは学校経営の問題であって、競技団体が口をはさむものではない」などなど。だが、その「なぜ」が最も大事なのだ。

 日本学生野球憲章のことは以前にもこのコラムで書いたが、もう一度書く。これは戦前の「野球統制令」がきっかけになっている。プロさえなかった時代。学生野球は人気の絶頂にあった。そこに私立学校の遠征試合などで金儲けをたくらむ興行師が現れ、他校からの選手の引き抜きも横行した。日本高野連の第3代会長、故・佐伯達夫氏の自伝によれば、当時から「野球学校」という言葉もあったという。そんな中で「野球は放任されている」という風潮が高まり、文部省が規制に乗り出した。1932(昭和7)年のことである。当時、高野連のような統括組織もなかった。

 戦争が本格化していく中、42年には文部省が夏の甲子園大会の主催を朝日新聞社から奪って開催。その後は国家の命令により、甲子園大会は中止を余儀なくされた。東京六大学野球も同様だ。

 だが、終戦とともに野球界は復興へとすばやく動き出す。46年に佐伯氏が中心となり、全国中等学校野球連盟(のちの日本高野連)が発足。同じ年に、野球統制令が廃止され、官僚統制を離れた形で、野球界の手による日本学生野球基準要項(50年に日本学生野球憲章と改称)が制定された。そこには「学生野球は他からの支配を受けないよう、自らを律しなければならない」という理想があった。いわば「独立」と「自律」だ。

 この精神が宿る学生野球憲章が、単に時代遅れだと私は思わない。確かに一般の感覚とズレがあることは認める。だが、むしろ、もう一度振り返らなければならない原点ではないか。西武との裏金問題と特待生問題は、結局のところ、カネの力を使った選手獲得という点で根は同じところにある。それを今、学生野球界は自らの手で律しようとしている。

 別の視点で見れば、アマチュアリズムを捨てた他のスポーツは、ずいぶんとカネまみれになってはいないか。特待制度や優遇した条件で次々と選手を囲い込み、それを「スポーツ英才教育」と言っている。学校も競技団体もだ。10代の若者にスポンサーをつけ、テレビCMに使い、競技会を転戦させる。それが日本のスポーツ界がひた走る時代の最先端なのか。日本のスポーツが目指すべき方向なのか。

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