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vol.425-2(2008年11月18日発行)
松原 明 /東京中日スポーツ報道部
「天皇杯サッカーの改革へ」

 日本サッカー協会・犬飼基昭会長は、就任以来、矢継ぎ早の改革案を打ち出しているが、ついに「天皇杯の決勝戦に固定している元日開催も変更するのにやぶさかではない」と、天皇杯の日程変更も明らかにした。

 5日、J1の千葉が7人、大分が10人、とメンバーをリーグ戦と入れ替えて敗退したため、「ベストメンバーで臨まないなら、降格、地方予選からの出場、などの厳罰処分にする」という、厳しい発言から始まった。しかし、天皇杯にベストメンバーで臨むべし、との義務規定はなく、理事会では「処分はできない」との意見が出て、結論は何も出ないまま、見送りになった。

 会長の真意は、この発言で、固定化している天皇杯の日程改革のきっかけにしよう、としたのではあるまいか。

 理事会会見後に、会長は「改めて発言したい」と、わざわざ会長室に記者団を呼び、前記のコメントが飛び出した。こういう荒療治をしないと、どうにもならないほど、今の日本サッカーの日程は、超過密になっている。

 そもそも、天皇杯は、当時、不入りに悩み、赤字続きだったサッカー協会の救世主、として生まれたもので、「元日は何もイベントがない。スポーツ中継で何かできないか」と、NHK運動部・故・小林寛二プロデューサーの考案でスタートした。1968年1月1日、実業団代表の東洋工業と、学生代表の関大を招き「NHK杯元日サッカー」で試合を行い、ナマ中継したのが始まりだ。当時、解説者を兼ねていた岡野俊一郎元会長も「元日初詣の方々に、国立へ寄っていただきましょう」とアイデアを出し、この日、予想外の観客を集め成功を収めた。翌年から元日決戦はスタートし定着していった。

 天皇杯はイングランドのFAカップを手本に誕生したもので、当初はイングランドと同じ5月に開催され、やがて年末になり、こ元日決戦以前は、決勝は1月中旬に行われていた。Jリーグが誕生していなかった時代は、それでも良かったが、今や、Jリーグはチーム数が増加の一途。A代表、五輪代表、ユース代表戦も飛躍的に増え、昔は、見向きもしなかった、アジア・チャンピオンズ・リーグもプロの重大なイベントになった。高校もプリンス・リーグの誕生でJリーグに負けないくらいの過密日程となっている。

 AFC(アジア・サッカー連盟)も欧州に習い、秋冬シーズンに移行。来年1月にはW杯予選、アジア杯が加わり、選手には、全くオフがなくなってしまった。これでは、日程を改革しない限り、機械ではない選手は壊れてしまう。

 会長は「欧州と足並みをそろえないと、日本は孤立してしまう」と、全部の日程をすべて再検討するとの堅い決意だが、簡単に実行できる問題ではなく、会長がどこまで、リーダーシップを取り、障害を取り除いていけるかにかかっている。新聞社の立場から言えば、休刊日で3日遅れになってしまい、決勝の記事がほとんど載らない元日は避けて欲しい、と、願っているが、「聖地」とまで言われるほど、神格化してしまった元日を移動させても、日程改革を断行したい、犬飼会長の新たな舵取りが成功するのを願っている。

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