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vol.384-1(2008年1月16日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
石川遼選手の「文武両道」への危惧

 “ハニカミ王子”石川遼選手(杉並学院高校1年)が、力強くプロ宣言をした。

 「今年に入り、勉強と両立させ、ゴルフを上達させていく覚悟ができた。学校でクラスメートと話す機会は減ってしまうが、勉強を頭から外さずやっていく」(1月10日付朝日)と、キッパリ。文武両道のけわしい道を歩き通す覚悟を見せた。甘いマスク、抜群のドライバーショット、うまい小技とともに、こういう高校生らしいういういしさが、大人気の秘密であろう。

 このところ男子プロゴルフ界は、人気、視聴率の面で女子プロゴルフに押されっぱなしだから、石川選手を救世主として期待が高まるのも無理はない。史上最年少の16歳3ヶ月でのプロ宣言は快挙であるが、不安がないわけではない。期待7分、不安3分。私には不安が3つある。

 @マスコミ、とくにテレビのワイドショー的な取材攻勢が、一段と強まるだろう。勝てば勝ったで、負ければ負けたで、プライバシーの領域に土足で入りこまれるような状況が出てくるだろう。何千万、何億の巨額のCMマネーも飛びかって、それに拍車をかけるだろう。マスコミ、とくにテレビと、どんなメリハリのあるつきあいができるか。

 A16歳の体はまだ“発展途上”であること。思春期の体の成長の仕方は、どこか偏っていて、全体的にバランスよく発達することはない。心身ともアンバランスな成長期に、プロの過酷な日程・ストレスが大きな負荷としてのしかかるわけだから、心身のバランスはさらに不安定なものになるのではないか。人によってちがいはあるだろうが、ゴルファーとして最も体が充実するのは20代後半から30代であろう。その前に大きな“プロの負荷”がかかって、押しつぶされることはないだろうか。

 B高校生プロらしく「文武両道」を看板にしたことに、さわやかさより大きな危惧を感じる。「文武両道」はアマチュアにしかありえない、と私は思っている。プロは文か武かどちらかで、徹底的にファンにつくす、ファンを喜ばせるしか道はない。それでナンボの世界である。プロにとって「文武両道」は王道ではなく、横道、極端にいえば邪道だと思う。年間15試合に出場するとすれば、練習日、プロアマ戦、移動日などを考えれば、年間、最低でも100日はゴルフ漬けだ。学校側はできるかぎり、補習など便宜をはかって、石川選手の卒業までの単位取得を可能にしたい考えのようだ。「学校でクラスメートと話す機会は減ってしまう」という高校生活では十全な「文」とはいえない。授業時間数や卒業単位の帳尻あわせにきゅうきゅうとする「文」は、とても「文」とはいえない。中途半端な文武両道は、百害あって一利なし、だと思う。

 文武両道はやめる。プロの文武両道は虚像だ。今は武(ゴルフ)でいく。文はゴルフが終ってから、つまり50代、60代になってからやる。今や人生80年時代である。ゆっくり文をやっていいのではないか。50歳、60歳で高校、大学で勉強して、いっこうにおかしくない。むしろ、それが高齢化社会の教育ではないか。いわば“タテの文武両道”を考えることが、新しいライフスタイルとして、社会的なインパクトとなるだろう。石川選手にはそうしてほしい。

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