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vol.395-1(2008年4月1日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
滝口隆司「スポーツ報道論」が面白い

 この<スポーツアドバンテージ>常連執筆者の滝口隆司さん(毎日新聞)が、「スポーツ報道論―新聞記者が問うメディアの視点」(創文企画・1600円)を出版した。快著だ。目次を見ると「第1章・活字メディアのジレンマ。第2章・世界のスポーツを変えたテレビマネー。第3章・新聞報道とスポーツ。第4章・ネット時代のスポーツメディア。第5章・地方メディアの可能性。第6章・スポーツジャーナリスト」となっており、現代の数々のスポーツ、スポーツ報道の切実な問題点が、あますところなくとらえられている。

 約20年、新聞でスポーツ報道にたずさわってきた滝口さんが、自分の経験をもとに、悩み多い報道の現状に風穴をあけようとする全力投球の姿勢が読みとれて、まことに気持がいい。何事も知ったかぶりをせず、つつみ隠すこともなく、とにかく真っ正直に問題に体当たりして考えているのが、何よりも心地よい。現場を自分の足でしっかり歩く記者だけがもつ、切実な感じが、どの章からも読みとれる。大所高所からの「報道論」でなく、自分の経験、実感を大事にしながらの「報道論」だから、現役をはなれて久しい私にも、身につまされるところがある。

 テレビの出現でスポーツが様変わりした。巨大なテレビマネーが、スポーツをもみくちゃにしている、とも見える。スポーツは人類が発明した大切な公共財なのだが、巨大な私的マネーによって、その公共性は変形しつつある。それを報道する側も、また大きな困難に直面している。“限りなく芸能に近いスポーツ”を目指すかに見えるテレビに対して、新聞報道は何ができるか、スポーツの何を伝えればいいのか、何が伝えられないのか、滝口さんは正直に自分の経験をさらけ出している。

 新聞のスポーツ報道は年々力が衰えてきている、という声をよく聞く。金融の過剰流動性にあわせるように、ボーダーレスに動いていくオリンピックやサッカーW杯などを前にして、古典的な活字報道の新聞は立ちすくんでいるかに見えるときがある。迷走するスポーツを追いきれない古典的取材報道に活路はあるのか、を、滝口さんは問おうとしている。

 この本は「スポーツジャナリズムの世界を志す学生たちのために」書いた、と「はじめに」にある。デスクになって現場からはなれる一歩前の今の時期に書かれたものだけに、具体的なエピソードも多く、親しみやすいスポーツ報道入門書になっている。

 それにしても、エージェントがスポーツ選手(の人権=著作権や肖像権)を守ると称して囲い込み、選手もブログで直接発信する、という時代は、取材する記者にとっては大変な時代である、滝口さんもまだ明確な突破口は見つけていないようだ。私にも突破口は見えない。昭和30年代のNHKの野球中継で、志村正順アナウンサーと解説の小西得郎さんの名コンビを、今でも思い出す。1+1が3になる楽しさがあった。何か新しいコンビでものを見る、取材する、というスタイルはとれないだろうか。2つの視点。複眼でものを見る。それも信頼に結ばれた複眼。男性と女性2人1組の取材コンビを少なくとも1年間つづけてみる。1つのスポーツを、たとえば女子マラソンを男女コンビで取材し、結果を話し合い、記事にする。ときには2人別々に書く。1つのスポーツをつねに2人の、それも男女の目で見ることによって、新しい視点が探せないものだろうか。コストはかかるが。そんなことを夢想する。

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