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vol.398-1(2008年4月22日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
快作!中村計著「甲子園が割れた日

 4月17日、都内のホテルで、2007年度第18回ミズノスポーツライター賞の表彰式があった。今年の最優秀賞は中村計さんの「甲子園が割れた日・松井秀喜5連続敬遠の真実」(新潮社刊1500円)。

 1992年8月16日、甲子園で高知県代表の明徳義塾と石川県代表・星稜高校が対戦、明徳の河野投手は馬淵史郎監督の指示に従って、星稜の4番打者・松井を、ランナーがいるいないに関係なく、全打席敬遠の四球でバットを振らせなかった、という前代未聞の“事件”が起こった。試合に勝った明徳に対して、高校生らしくない卑怯な作戦だと思った観客から、激しい「帰れ、帰れ」コールが甲子園球場を包んだ。あとで明徳の青木捕手が「甲子園なんて、来なければよかった」とコメントした、と報道されたのを、当時予備校に通い始めた浪人生・中村計さんは深く心に刻み込んだ。10年たてば両チームの監督選手も、この“事件”のすべてを、わだかまりなく話せるだろう、と考え、事実10年後に、その通りに取材してまとめたのが「甲子園が割れた日」だった。

 10年間、気持をもちつづけ、4年かけて取材した粘りが凄い。実績のない新人ライターに、取材費を出してくれるところはない。すべて自前でアメリカまでも取材の足を伸ばした中村さんに、拍手を送りたい。

 対戦した両チームの18人の選手のその後のさまざまな人生模様が、まず面白い。星稜の5番打者、つまり松井敬遠のすぐあと打席に入った月岩選手は、その後、関西の大学に進むが、まわりから「あのとき、お前が1本でもヒットを打っていたら、星稜は勝ったかもしれない」と言われつづけ、ついに大学を辞め、すっかり野球から遠ざかっている。河野投手はプロ入りを願うもドラフトにかからず、それでも夢を捨てないで、アメリカ独立リーグでプレーしている。同じアメリカでは、もちろん松井がNYヤンキースで大活躍。その他の選手についても、まさに人生いろいろの姿が浮かび上ってくる。それを読むだけでも、甲子園の高校野球について、深く考えさせてくれる。

 もうひとつの特徴は、マスコミ批判である。「高校生らしさ」を強調し、高校生らしい美談を提供したいマスコミが、「甲子園なんて来なければよかった」という、コメントをいかにして作り上げたかを、数々の選手の証言で実証してみせていることだ。マスコミに限らず、高校生らしさを作為的につくりたがる心が、例の特待生制度問題のあいまいな対処の仕方などにもつながるように思う。

 私がもっとも感銘をうけたのは、明徳・馬淵、星稜・山下両監督を丹念に取材することで、高校野球の奥深さを描き出した点である。

 明徳・中矢選手が「馬淵監督からはいつも『わしが黒のカラスを見て白じゃといったら白だと思え』と言われていたから、みんな本当に白いと思ってました。監督のいうことがすべてという訓練と教育を受けていたから。そう言うと、操り人形になってるみたいでかわいそうと言われたりするけれど、そんなことは全然ない。みんなこの監督のために、と思ってやってましたから。いい意味でみんな馬淵教の信者でしたから」と言い、そういう指導を、ある強さをもってしたたかに受けとめ、消化し、プレーをつづける少年たちにやはり胸をうたれる思いがする。

 山下監督も「高校野球が日本を守らないといけないと思ってるんです。だから、ぼくは死ぬまで高校野球をやりたい」と言う。こういうカリスマ的な、個性的な指導者の高校野球観は、いわゆるふつうの野球観とはかけはなれたものだろう。100年の高校野球の光と闇の歴史が生みだしたものだ。

 よくも悪くも、こういう高校野球観が、大きく言えば、日本人のバックボーンをつくってきたのだろう。日本人は年をとるにつれて、プロ野球より高校野球を愛好するようになるといわれ、世論調査でもそのようなデータがでている。この本を読むと、なぜそうなのか、高校野球の魅力、謎が少し分かってくるような気持になる。

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