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vol.399-2(2008年4月30日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
“ナルシシズム・メディア”への危惧

 2007年度ミズノスポーツライター賞の優秀賞2作品のうちの1つは、毎日新聞運動部の年間企画「アスリート争奪」だった。表彰式の短い講評の中で、私は次のように述べた部分がある。

 「スポーツを限りなく芸能化して見せようとするテレビ、速報とこま切れ情報のインターネット、また選手自身がホームページやブログで発信してコト足れり、とするいわば“ナルシシズム・メディア”の氾濫にはさまれて、新聞の客観報道は大きな困難にぶつかっている」

 かつて、ライブドアのホリエモン社長がプロ野球に関与しようとしたとき、「私を支えてくれたのは、双方向性メディアのインターネットだ。インターネットがなかったら、私はナベツネ勢力に確実につぶされていただろう」と自著に書いたことがある。今の新聞という巨大メディアは、権力と財力をもった集団だけが、上から下へ一方的に情報を流すシステムだ。徒手空拳の庶民には発信するチャンスもなかったが、インターネットの出現で、巨大メディアに対抗しうる手段を獲得できた、と大見栄を切った。もっとも、双方向性の中身については、既存のジャーナリズムのあり方に変革を強いるほどのものは提出されていなかった。

 それは残念だったが、インターネットの特徴であり、最大の武器でもある双方向性のひとつのあらわれが、ホームページやブログというものであることはまちがいない。しかしながら、その実情は、双方向性より、ホームページやブログを書く発信者の、一方的な独白になっているのではないか。読ませることを意識した、外向けの日記である。それが悪い、というわけではない。ふつうの人間が何らかの自己表現の手段として使うことに、文句をつける筋合いはない。ナルシシズム(自己愛)メディアであればよい。

 問題は、たとえば現役時代の中田英寿選手が、マスコミはウソを書く、そんな取材は受けたくない、ほんとうの私は、私の書くホームページの中だけにある、それを読んでほしい、というところにある。事実、サッカー引退のときもマスコミに対して記者会見をするのではなく、まず自分のホームページの中で表明している。マスコミからの自己防衛から始まって、自分の書いたこと以上に自分について正しい情報はない、と信じて疑わない点である。

 スポーツは人類が発明した素晴らしい“公共財”である。たくさんの「私」がかかわる「公」的なものである。プロスポーツはさらに「公」的価値が高くなる。あるスポーツの愛好者が、その人たちだけで楽しんでいるうちは、「公」を意識しないでもすむ。しかし、プロスポーツとして多くの大衆がかかわるとすれば、「公」的側面を無視するわけにはいかない。プロ選手には「公的」責任がある。つまり、“ナルシシズム・メディア”だけでは、コトはすまない、ということである。第三者の目が入らない「私」情報は、きわめてかたよったものである。“ナルシシズム・メディア”と、それを喜ぶファンだけの世界が、「公」的なスポーツを囲い込む形はおかしい。正常・正確な姿ではない。

 もちろん、既成メディアに問題があるもの事実だ。ウソを書く、言ってもいないことを言ったように書かれる、長い文脈の中から、都合のいい部分だけをつまみ食いされ、あらかじめ決められた筋書きの中にはめこまれる、という不信が強くある。それだけに今後ますます“ナルシシズム・メディア”が跋扈(ばっこ)するのではないか。大いに気になるところだ。

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