スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ

vol.406-1(2008年6月19日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
「高齢」をあまり強調しないでほしい

 日本は“年齢社会”だなあ、とつくづく思う。テニスの伊達公子さんが現役復帰、活躍するたびに「37歳の伊達選手」と、耳にタコができるほど「37歳」と、アナウンサーは連呼する。

 75歳でエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎さんの場合も、「世界最高の76歳にはおよばないが、驚異の75歳」と、これまた何度もいわれた。こちらは世界最高齢を争うのだから、75歳を強調するのはまだ分かるが、伊達選手の方は、連日「37歳」を定冠詞のようにつけるのはどんなものか。

 37歳での現役復帰、それも10数年のブランクがあって後の復帰だから、まさに驚異的な出来事である。早期英才教育でローティーンの頃からプロとして活躍、やがて燃えつき症候群となってしまう選手も少なくない中で、37歳という“高齢”で復活し、若い選手たちと対等以上に戦う伊達選手は、稀有の例で、素晴らしいの一言につきる。

 しかし、現役復帰してしまえば、過去の栄光は関係なく、18歳の選手とも対等のプレーヤーである。年齢にハンデをつけないのが、スポーツの面白いところでもある。

 日本社会は年齢を気にする社会である。「いい年をして・・・」「年甲斐もなく・・・」「近頃の若い者は・・・」など、いつまでたっても年齢を一つの座標軸として、人を判断している。年功序列の社会ではなくなり、成果主義が前面に押し出されるようになってきた、女性の結婚適齢期もあまりいわれなくなった、と社会も変わってきたようにいわれるが、実際はいつでも年齢を気にしている。伊達選手の場合はその心意気をほめたたえる意味で、「37歳」をことあるごとに強調するわけなのだが、もうスポーツ選手の「年齢」については、あっさり扱っていいのではなかろうか。年齢を感じさせないための環境をこそ、伝えてもらいたい。

 世界一の長寿国日本、スポーツ医学やトレーニング方法、社会のサポート体制、意識も変わってきつつある。40歳を超す野球選手も次々に出はじめた。イチローは50歳まで現役でやりたい、と言っているそうだ。年齢のカベに次々に風穴をあけるアスリートが、ますます出てきそうで、これはうれしいことだ。スポーツが若い人だけのものではないことを、いろんな形で示してくれることは、人類のありがたい財産である。

 「年齢」は一度言ったらそれでOK、あとは現役プレーヤーとして、その体力、技術、精神力はどうか、そこに目をとめて詳細に取材してもらいたい。スポーツ選手について知りたいのは、「いま、ここ」の心技体、である。

筆者プロフィール
岡崎氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
ページトップへ
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件