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vol.384-2(2008年1月18日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
大学スポーツは早稲田の独り勝ちか

 この冬の大学スポーツは、早大が各競技で好成績を収めた。ラグビーの全国大学選手権決勝では慶大に1トライも許さず圧勝。サッカーの全日本大学選手権でも法大を2−0で零封し、13年ぶりに日本一の王座に就いた。正月の箱根駅伝では12年ぶりの往路優勝。総合でも2位となり、こちらも復活を強く印象づけた。

 この1年を振り返れば、早稲田実で全国制覇した斎藤佑樹が加入した野球部は東京六大学リーグ戦を春秋ともに制し、全日本大学選手権優勝、明治神宮大会でも準優勝を果たした。庭球部は全日本学生室内選手権でシングルス、ダブルスともに優勝。福原愛が入って話題を呼んだ卓球部は、男子が3年ぶりにインカレで日本一。フィギュアスケートでは中野友加里、武田奈也が日本代表として国際舞台でも活躍した。この他、バドミントン部がインカレの女子団体で優勝し、スキーのインカレでも男子のクロスカントリーで木村正哉が個人種目で2冠。メジャー競技からマイナー競技まで、各種スポーツでトップレベルの実力を示した。

 早大の復活をかけて運動各部の強化が本格的に始まったのは1999年からだ。各運動部長の推薦があれば、数字的な実績がなくても面接のみで入学できる、という制度を人間科学部で導入。それまでは学業成績に加え「全国大会で●位以上」という実績がないと入学できなかったが、新制度の導入により、大学が直接高校生をスカウトし、入学させられるようになった。

 1998年当時、競走部は箱根駅伝で総合10位、ラグビー蹴球部は日本選手権でトヨタ自動車に100点以上を奪われる記録的大敗を喫し、ア式蹴球部(サッカー部)はその前年に関東大学リーグの2部に降格。「強い早稲田の復活」が学内だけでなく、OBからも叫ばれていた頃だ。

 2003年からはスポーツ科学部が創設された。日本のトップレベルの選手がこの学部に入るようになり、2年前からはスポーツ推薦とは別にトップアスリート入試という制度も始まった。そうしてスポーツで優秀な高校生が「早稲田」のブランドに憧れ、次々と入学してきた。その結果、早大が「独り勝ち」する体制が出来上がったのである。

 他の大学も「早稲田に続け」とばかりにスポーツ関連の学部や推薦入試の制度を創設したり、スポーツ施設を充実させている。しかし、現状では早稲田のブランド力に勝てる“武器”を持ち合わせておらず、その差が今年度は如実に表れている様子だ。

 早大の独走が大学スポーツ全体にどんな影響をもたらすか。強化に取り組んだ早大を非難したり、早大に追いつけない他の大学を「努力不足」と一刀両断するだけでは意味がない。プロスポーツと同様、大学スポーツにも戦力均衡の発想が必要となってくるのではないか。米国のNCAA(全米大学体育協会)のような統括組織が日本にはないが、関係者が本腰を入れ、大学スポーツの将来を議論していく機運に期待したい。

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