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vol.443-1(2009年4月8日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
小山捕手の第2ラウンドが始まった

 3月27日付朝日新聞の読者投稿「声」欄に、国立市の無職・石原茂さん(60)の一文が載っていた。WBCの日本優勝を喜んだあと、次のように書いている。

 「今回のWBCの映像でブルペン捕手の顔をほんの一瞬見て、私は思わずアッと声をあげました。小山良男捕手でした。1998年の甲子園で春夏連覇した横浜高校の主将でした。今回、同級生の松坂大輔投手は日本代表のエース。小山捕手は裏方。しかし、生き生きとした姿と素晴らしい笑顔でした。中日の捕手として結果を残せず昨季限りで現役引退。今季から中日のブルペン捕手を務めるそうです。・・・スポットライトを浴びた日本代表の陰には彼をはじめ多くの裏方の皆様の苦労があることを忘れてはいけないと改めて感じました。貴重な体験を積んだ彼が、いずれ立派な指導者になることを期待したいと思います。小山捕手、第二の人生を頑張って下さい」

 世の中、見ている人はいるものだな、と感心した。ちらと映像にうつったキャッチャーを、小山良男選手だと分かるところがスゴイ。相当な野球(中日?)ファンだ。世の中は広いようで狭い。狭いようで広い。いろんな人がいろんな見方をしている。見られるありがたさと、見られる辛さ。それがプロスポーツ選手の特権であり、幸福というものだ。小山捕手はこの投書を読んでいるだろうか。

 10年ほど前、松坂投手とバッテリーを組んで春夏、全国制覇をして華やかなスポットライトを浴びた2人が、10年後の今、片や日本代表のエース、米メジャーでも代表的な先発投手に成長し、一方はプロ野球でついに芽が出ず、今年からブルペン捕手の仕事をつづけるという。クッキリ明暗二筋の道に分かれた。その2人がたまたま侍ジャパンの中で顔を合わせるのは、残酷な光景のようにも見えるが、そこがスポーツのいいところだろう。そんなことは、人生にいくらでもある。珍しいことではない。だが、そんな残酷さはふつうは隠されていて、あからさまに表面に出てくることはない。スポーツではそれがむきだしに、クッキリと現われる。爽快ですらある。

 松坂は勝者、小山は敗者、だろうか? 第1ラウンドのプロ野球の世界ではそう言えるだろう。しかし、長い人生においては、簡単にそうは言えなくなる。そのこともみんな分かっている。

 小山捕手が中日でレギュラーの座がつかめず、しかし、ブルペン捕手として、いわゆる“壁”捕手として野球をつづけるところがいい。勝者とか敗者でなく、とにかく野球をつづけることを決めたことが、まず、いいな、と思う。ほんとうに野球が好きなのだ。野球に嫌われるまでは、野球をつづける。新しい仕事としてブルペン捕手の道を選び、前を向いて生きていく決断をしたことが素晴らしい。そこから指導者の道が開けてくるか、小山捕手の第2ラウンドを専門家、先輩はもちろん、投書をした石原さんのような素人もじっと見守ってくれるだろう。目の前にあらわれた新しい仕事に、全身全霊で取り組む姿は、きっと多くの人たちに励ましを与えることだろう。

 スポーツにおいては、ドラマは勝者にある。敗者にドラマはない。敗者になった理由を探ったところで、大きな不運を探り当てるだけだ。新しい場に立つ、その姿、その存在だけでいい。それで十分だ。第1ラウンドの敗者が、それ以上でも以下でもない存在、ありのままの存在として生き始めれば、本人にも、それを見る者にも、大きな喜びとなる。必ず見ている人がいる。プロとは、そんな見る人をもてるかどうかである。見られてなんぼ、の世界である。小山捕手は、すでに1人、そういう長く、温かく見守ってくれている人を持っていることが分かった。第2ラウンド、堂々と悠々と生きてほしい。

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