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vol.467-3(2009年11月11日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
松井秀喜選手を見る楽しみ

 「東京新聞」夕刊に、毎週月曜日、哲学者の梅原猛さんの「思うままに」という連載コラムが、もう10年以上もつづいている。ときどき、スポーツが話題として取り上げられるが、これがなかなか面白い。7、8年前、イチローを宮本武蔵ばりの“変わり者”と言い、こういう変わり者が100人いたら、日本も目を見張るほど大きく変わるのだが・・・と述べられていたのは、今でも忘れられない卓抜なイチロー論だった。

 11月9日付のコラムは「落合監督にひと言」で、これも面白かった。梅原さんは、落合監督の采配ぶりから「知、情、意兼ね備えた立派な監督」と認めた上で、「今季の観客動員数において、セ・リーグではドラゴンズのみが昨年を下回った」ことをとりあげ、その原因を落合監督のマスコミに対するぶっきらぼうな態度にあると指摘する。

 「クライマックスシリーズにおいて第二ステージ進出を決めたときの勝利監督インタビューでインタビュアーが『ファンも日本シリーズで戻ってくると願っています。抱負を語ってください』と言うと、彼は『全球団が日本一を目標に戦っているのだから、それは愚問ではないか』と無愛想に言い捨てて姿を消した。それを見て、私は百年の恋も冷める思いであった。この言葉は、落合の人一倍強いシャイの精神が言わせたものであると思われるが、マスコミはファンの代表であり、彼の態度はファンに対して大変失礼である」と断じている。みんなが感じていることを、右代表で言ってくれている。

 落合が中日で選手として活躍している頃、インタビューしたことがある。話はまことに面白かった。バッティングの技術、心理について、的確詳細に語ってくれた。私が取材した野球選手の中で、これは面白い、と感心した選手を5人あげるなら、江夏、江川、桑田、榎本喜八、そして落合、である。話の中身がギッシリ石榴の実のように詰っていた。しかし、落合はインタビューのしにくさでは、群を抜いていた。こちらが何かたずねると、必ず「そうじゃあないよ」と否定して、こちらの顔をまじまじと見ながら、やおら話を始める。どんな質問にも必ず、「そうじゃあないよ」と否定されると、神経を逆なでされるようで、やり辛いことおびただしい。話が進んでいくと、必ずしも「そうじゃあないよ」ではなく、「そうだよ」と変わっていくこともままあった。どこか噛みあわないようでいて、話の中身はとびきり面白い、というのが、落合インタビューであった。とにかく、他人の「愚問」は大嫌い、という人であった。監督になって、いっそう愚問嫌いが高じているようである。

 同じ11月9日、この「スポーツアドバンテージ」に、スポーツライターの佐藤次郎さんの「強打者は味わい深い」が載った。近頃、出色の評論であった。佐藤さんの暖かい人柄、鋭いものの見方がよくわかって、気持ちのいいエッセイであった。落合監督とは真反対、誰にも、どんな時でも、誠実にマスコミ対応する松井について書いている。「松井秀喜を見ていると『古き良きスポーツマン』というイメージが浮かんでくる。スポーツマンシップというような概念がまだ純粋に生きていた時代の選手という感じがするのだ。そして『古き』ではあってもそれはもう一度取り戻すべきことではないかとも思うのである」

 まったく同感だ。私も松井選手には「古風」を感じる。野球が始まった原初の頃から吹いてくる「古風」、みんなアマチュアで、心から野球を楽しんでいた人たちが分かちもった心のあり方、それを古風と名付ければ、まさにその古風という風が松井の中を吹き通っているのだ、と思われる心地よさだ。ワールドシリーズで、それを実感できるシーンを見ることができて、本当によかった。野球の神様は最後の最後、松井の肩の上にフワリと乗ったのだ。

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