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vol.468-1(2009年11月17日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
野村克也監督を惜しむ短歌
 「ONの時代」
野村克也監督を惜しむ短歌
 11月16日付朝日新聞の読者投稿短歌に、楽天の野村克也監督を詠った短歌が2首載っていた。

・ あっ野村、夢消えついに引退すなぜか涙が噴き出て止まぬ(福島県・渡部正吉)
・ 二チームの選手に胴上げ野村さんスポーツはいい野球っていいな(福岡市・宮原ますみ)

これは大方の野球ファンの、いつわらざる気持ちだろう。若い頃は「ONはヒマワリ、私は月見草」などと、いささかスネていたのではないか、と思われていたが、年が経つにつれて、どんどんとぼけた味がでてきて、野村ファンがぐんとふえたように思う。私もかつて「野村のボヤキは選手を育て、同様にファンをも育てる、言葉による新しい人間育成法の開拓者」と書いたことがあったが、とにかく、噛めば噛むほど味の出るスルメのような存在になった。時間という"強い歯で"噛みつづけられると、たいていの人間はきれいに消化されてどこかに姿を消してしまうが、しぶとく噛みごたえのある人間として野村監督は強い印象をファンに残した。希有の人である。

「ONの時代」
 9月にNHKスペシャル「ONの時代」が1時間ずつ2回にわたって放映された。この企画には昨年8月から、若いディレクター大谷実さんの取材を受け、相談にのっていた。今年2月、大谷さんのインタビューを1時間ほどとり、録画したあと、大谷さんは病気が進行し、1ヶ月入院して還らぬ人となった。150分予定の番組は4ヶ月延期され、新たに仕切り直しされて完成したのだが、内容は初めに想像していたものとは、大きくかけはなれたものになった。

 ONのような太陽のように光り輝いてカゲのなかった人を描くのは、想像以上にむずかしい。太陽を直接見ると目が焼き切れる。水に映して見よ、とは、プラトンの言だが、ONを直接描こうとすれば、そんなふうになる。水に映すように、いい補助線を一本書き入れることで、ON像、ONの生きた時代像がより鮮明に浮かび上がるだろう。補助線には入り口に野村、出口にイチローをもってくるのがいいのではないか。ONは、日本の最後のあたたかい共同体、地縁共同体も家族共同体も消えたあと、唯一残った企業共同体、そのシンボルであり、そこに働く人たちをひっぱりつづけた人である。イチローは個の時代、徹底的に個に執着し、個を磨いて、グローバルな世界へ飛躍した人、これを結びつけることで、「ONの時代」がわずかに浮き彫りになろう。ONの50年(天覧試合でONアベックホームラン第1号を放ってから今年で50年)、その時代を描くのは、天皇・皇后ご成婚50年を描くことにくらべ、格段にむずかしい。そんなことを大谷ディレクターの後釜になった若いディレクターと話し合ったが、結局、出来上がった作品は「ONの人生」になってしまった。

 私はONファンだから、120分の「ONの人生」をそれなりに面白く見たが、つまるところ、2人の天才にも、人に見えないところで大変な努力をしていた、苦しみがあった、というあたり前の人生ものにまとめてしまった。Oだけでなく、Nだけでなく、なぜONとして今、取り上げるのか、という課題には十分に応えていなかった。そこが残念であったが、視聴率は最近のNHKスペシャルの中では、格別によかったそうだから、ONの威力は衰えていない、ということだろう。

 松井秀喜選手がワールドシリーズでMVPとなった今なら、「昭和49年」をキーワードとして使えたかもしれない。この年、Nは「巨人軍は永久に不滅です」と現役引退し、この年に、松井はオギャアと生まれている。この年はゴーマン美智子さんがボストンマラソン女子の部で優勝、小野田寛郎さんがルパング島から帰還、田中金脈の研究で田中角栄内閣交代、コンビニ1号店が出現、漫画「サザエさん」が朝日新聞の紙面から消えた年、であった。世の中が大きく変わった年である。そんなことを考えながら、「ONの時代」を、今もあれこれ考える。

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