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vol.459-1(2009年8月24日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター
大きな存在が消えた

 なんとも残念なことだ。作家の海老沢泰久さんの急逝である。ノンフィクションやノンフィクション・ノベルを志す書き手にとって、またその読者にとっても、海老沢さんの存在はたいへん大きなものだったと思う。

 近年は多彩なテーマの小説が中心となっていたが、スポーツライティングに携わる者としては、野球やモータースポーツに題材をとった一連のノンフィクション・ノベル(伝記小説とも呼ばれている)の印象がことのほか強い。野球では、広岡達朗氏をモデルとした「監督」、堀内恒夫氏の投手人生をテーマとした「ただ栄光のために 堀内恒夫物語」。F1では、ホンダと、日本初のフルタイムドライバーとなった中嶋悟氏の果敢な挑戦を描いた「F1地上の夢」「F1走る魂」。いずれも、こうしたジャンルに新しい地平を開いた力作といえるだろう。

 これらの作品の魅力は、それぞれの主人公や関係者を、一人の生身の人間としてありのままに描いた点にあると思う。型にはまったヒーロー物語や、表面だけのサクセスストーリーではない。登場人物たちは、失敗もするし悩みも抱えているし、時には弱さもさらけ出す。日々の何気ない暮らしの様子も出てくる。つまり、物語が生きているのだ。

 その裏には、腰のすわった綿密な取材があったに違いない。取材対象に近すぎず、もちろん遠すぎもしない、この著者ならではの視点や距離感も好ましく感じられる。自らの感覚、感性を大事にしながらも、冷静かつ客観的な目を忘れまいとする思いもうかがえる。書き手、取材者として、きちんと一本の筋を通しているということだ。そうした姿勢が、作品の風格をより高めているのだろう。

 その文体も魅力的だ。淡々としていて、あまり大げさな表現は使わず、それでいて快調なリズムが読者をぐんぐん引っ張っていく。同じような表現が繰り返し出てくることも少なくないが、それもさほど気にならないだけの快いテンポがあった。もちろん文体にはさまざまなタイプがあってしかるべきだが、わかりやすく、わざとらしさがないという点で、そのすっきりとした文章はひとつの見本になっていたと思う。

 スポーツに関するエッセイや評論でも胸のすくような冴えを見せた。新聞やテレビが遠慮がちなところへズバリと切り込むのである。とはいえ、辛口ではあったが、実のところそれはしごく常識的な言い分だった。本当にスポーツを楽しもうとするまっとうなファンたちは、「そうだ、その通りだ」と深くうなずいていたに違いない。海老沢さんの意見は、妙にゆがんだり本筋からそれたりしがちな日本のスポーツの中で、いつも本道を指し示してくれる貴重な指針だった。

 ところで、最近のスポーツライティングだが、海老沢さんの一連の作品のように魅力的なものはあまり見あたらない。人気競技のスターや時流に乗ったものばかりにテーマがかたよっていたり、地道な取材よりも筆者の思い入れや自己主張が目立ったりといった状況なのだ。つまりはひどくわざとらしいのである。それではスポーツの幅広い魅力など伝わってくるわけもない。

 考えてみれば、海老沢さんの作品には、いまのスポーツ界やスポーツライティングから消え去りつつあるものが、いろいろと詰まっていたようにも思える。訃報に接して喪失感がひときわ強かったのはそのためだろうか。

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