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vol.449-2(2009年5月22日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者
バット職人「ジュン石井」の精神

 少しばかり古い本を読んでいる。1987年に発刊された「スポーツに生きる」(大月書店)。スポーツジャーナリストの大御所ともいえる故・川本信正さんと日体大の森川貞夫教授の編著で、普段は表舞台に出ない「スポーツに生きる人々」が25人登場する。

 その中に王貞治さんのバットを作った職人で、圧縮バットの発明者として知られる石井順一さん(故人)の話が出てくる。打球が飛びすぎるとの理由で1981年以降は禁止されている圧縮バットである。しかし、何も飛距離を伸ばすバットを作ろうとしたわけではなかったそうだ。

 戦後間もなく千葉県松戸市に「ジュン石井」を創業した石井さんにとって、悩みはバットを作る木材が簡単に手に入らないことだった。そこで目につけたのがヤチダモという木。比較的入手しやすく、しなりもいい。ところが、バットにして打ってみると、表面が剥がれやすいという難点が見つかった。

 そこで木目に樹脂を注入してバットを固めるようにした。それが圧縮バットである。王選手をはじめ、有名選手が次々と使うようになり、後発メーカーも圧縮バットを売り出し始めた。問題はそこからだった。

 「ただ売れればいいという業者が出てきました。バットの表面を硬くし、反発力を強化したため、選手は技術向上に打ちこまなくても飛距離を伸ばせるようになっていったのです。それで日本のプロ球界は『飛びすぎるバット』を禁止したいというのです」

 石井さんはそう振り返っている。プロ野球の禁止によって、圧縮バットは次第に姿を消し、高校野球も金属バットに変わった。

 一連の流れを顧みて、石井さんは用具開発者としての精神を次のように語っている。長くなるが、貴重な言葉なので引用したい。

 「バットをつくる者として気をつけなければならないことがあります。それは、なんと言っても本来の野球をこわさない、ということです。道具というものは、どんな分野でもそうですが、先人が生み、伝えてきた技術と一体のものであり、その優れた技術を守り向上させるものであってこそ良い道具だと言えるのです。素材が変わっても道具が伝統の技術をこわしたら、これは道具をつくる業者の恥です」

 「いくら頼まれたからといっても、技術向上していなくてもボールを飛ばせるバットや飛ぶボールをつくっていいというものではありません。たとえ、そのことでホームランの数が増えても、野球の妙味が増すわけではないし、記録も値打がないのです。そんなことをしていては、いずれ人びとから野球は見放されてしまいます」

 なぜ石井さんの話を持ち出したかといえば、競泳の水着の問題があったからだ。英スピード社に負けるなとばかり、世界のメーカーが「速く泳げる水着」の開発に血眼になった。そして、国際水泳連盟は各業者が申請した水着348タイプのうち、10は却下、136は改良の上、再提出するよう求めた。開発競争に警鐘を鳴らしたのである。

 共同電によれば、男子百メートル自由形で「世界新」を出しながら水着が認められなかったアラン・ベルナール(フランス)のコーチは、レキップ紙に「世界記録がとんだ笑い話になってしまった。もはや世界記録や世界ランキングに何の意味もない」と語ったという。石井さんの言葉を借りれば、本来の競泳が壊れ始めているのかも知れない。

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