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vol.456-2(2009年7月17日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者
監督生活47年、最後の夏

 夏の甲子園を目指す高校野球の都道府県大会は中盤戦に入っている。新聞のスポーツ面には全国の結果が掲載され、その数は多い日で400試合を超える。そんな中で、今年は気になっている高校がある。奈良県の郡山高校の結果だ。

 「辞めるまでに、もう一回、甲子園に行きたいなあ」という話を聞いたのは、数年前のことだった。森本達幸監督。74歳を迎えた高校球界の名将が、ついに今夏でユニホームを脱ぐという。チームを甲子園に導いたのは春夏通算11回。しかし、2000年の夏を最後に大舞台からは遠ざかっている。年齢的にもあと一度、甲子園の土を踏みたい、という思いがにじんでいた。そのラストチャンスである。

 郡山高校といえば、奈良高校、畝傍(うねび)高校に次ぐ県内3番目の進学校として地元では名が通っている。「中学校のクラスで2番目か3番目の成績でないとウチには入って来れん。だから、うまい選手を集めて甲子園を目指すということは出来んのです」と森本監督は言ったものだ。にも関わらず、郡山高校のグラウンドは、毎年100人を超える部員でひしめき合っている。文武両道を実践する郡山高校で野球をしたい、森本監督の下で野球をしたい、という生徒が押し寄せるのだ。

 森本監督自身も郡山高の卒業生だ。高校時代は紀和(奈良と和歌山)大会の決勝に進んだものの、甲子園には縁がなかった。その後、関大では2歳下の村山実投手(元阪神、故人)らとともにプレーし、社会人野球の京都大丸へ。現役を退いた後、1963年に母校の監督に就任した。

 関西の高校球界では「森本先生」と呼ばれている。教師ではない。バッティングセンターを経営しながら、夕方には学校に行って生徒たちを指導する。森本先生のモットーは「一に勉強、二にマナー、三に野球」で、「お前たちは3番目の野球で甲子園を目指すんだ」と選手たちに説く。先生と周囲が呼ぶのは敬意の表れだろう。

 特待生制度が問題となった07年のことだ。森本監督がかつて中学生の硬式野球チーム、郡山シニアを作ったと聞いて、その理由を尋ねたことがある。「佐伯(達夫、当時の日本高野連会長=故人)さんに中学生のチームを作りたいと申し出たら、認めてもらえてね」。各地で中学校の部活動の衰退が始まっていた。野球にも勉強にも取り組める中学生の環境を作らなければ、と思い立ったという。ただし、高校の指導者が中学生を直接教えることは勧誘行為にあたる。森本監督はそういう場を用意しただけで、あとは同校OBらが底辺の環境を整えていった。今や郡山シニアは関西屈指の強豪でもある。

 野球をやるなら野球ばかり、勉強するなら勉強ばかり、というように、一つのことに「特化」する風潮が強まっている。しかし、森本監督が47年間も実践してきた文武両道の精神は、今なお大勢の部員が入部してくるように、決して見捨てられてはいない。そして、教え子が指導者となって各地に散らばり、その哲学を受け継いでいる。

 監督就任後、指揮した試合は4200を超えるという。この夏、郡山は初戦の2回戦をコールドで勝ち上がり、ベスト16に駒を進めた。次の相手は天理と並ぶ甲子園の常連校、智弁学園。試合は19日、森本監督が迎える野球人生の大一番である。

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