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vol.476-1(2010年1月22日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

「神風」や「日本刀」に見える危険性

 先輩記者がスポーツ紙を手に近寄ってきた。「これ、どう思う?」。ジャンプのバンクーバー五輪代表、葛西紀明の記事だった。

 写真を見ると、葛西のヘルメットには「神風」の文字が描かれている。記事によれば、五輪用に作ったヘルメットだという。私も前夜のスポーツニュースをテレビで見ながら、この頭の文字に気づき、「これはまずいんじゃないか」という違和感を持っていた。

 札幌五輪のジャンプ陣が「日の丸飛行隊」と呼ばれたことは有名だが、ジャンプの選手が「神風」という言葉を使えば、「神風特攻隊」を連想する人もいるだろう。「特攻隊で亡くなった人の家族が見てどう思うかね」と先輩は言っていたが、全く同感だ。だれのアイデアかは知らないが、少し配慮を欠くのではないか、という気がする。

 最近、もう一つ、ぞっとする出来事があった。一部新聞に載ったサッカー日本代表、岡田武史監督の新春インタビューである。日本代表のキャッチフレーズは「SAMURAI BLUE」。昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を戦った野球の日本代表は「侍ジャパン」だったが、サッカーの「SAMURAI」を率いる岡田監督は、日本刀を手に写真撮影に応じている。メディア側のリクエストだったのだろうか。だれが日本刀を用意して岡田監督に持たせたのだろうか。それがどのような経緯であれ、過去の戦争で日本刀を持った軍人がアジア諸国を侵略していった歴史を知らないわけではないはずだ。

 37歳のベテランジャンパー葛西や、知的な指揮官として知られる岡田監督が、そんな周囲の要求に応じるとは残念なことだ。発案した人は日本的なものをイメージさせたかったのだろう。しかし、国際舞台で戦う日本代表であるからこそ、こういうことには無神経でいてほしくないものだ。

 ここ数年のスポーツ界を見ていると、「愛国心」や「国家主義」を強調しているような場面によく出くわす。五輪ではメダル獲得順位で上位を勝ち取ることが国力の誇示につながる、ということを堂々と語る人が増えてきた。サッカーのワールドカップでは、日本代表を熱心に応援する人たちの傾向が「プチナショナリズム」と評される。

 このコラムでかつて書いたことがあるが、安倍晋三元首相が著書「美しい国へ」の中で、「スポーツには健全な愛国心を引き出す力があるのだ」と記していたことを思い出す。こうした考えがスポーツ界に浸透し始めているとすれば、恐ろしいことだ。

 本来のスポーツの価値、国際スポーツ大会に参加する意義といえば、文化の異なる国や地域の人たちと試合をすることによって、友好や親善を深め、相互理解を促すことにあると私は思う。しかし、それとは逆に、民衆の心を引きつけるスポーツが国威発揚の道具に利用された例は数多い。国際舞台へ出ていくスポーツ人が、日本が持つ「負の歴史」に無関心、無頓着であっては困る。そして、メディアにも危険な風潮であると忠告すべき責任があると考える。

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