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vol.484-1(2010年3月26日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

智弁和歌山の少数精鋭主義

 選抜高校野球大会で、智弁和歌山の高嶋仁監督が甲子園通算59勝目を挙げ、PL学園の中村順司元監督(現名商大監督)を抜いて歴代単独1位となった。春は優勝1回、準優勝2回、夏は優勝2回、準優勝1回。その輝かしい実績の陰に、高嶋監督が貫いてきたシステムがある。

 智弁和歌山のグラウンドに行ってみると、あまりにも部員が少ないのに驚く。春のセンバツ前は1、2年生だけだから、なおさらだ。以前、取材に訪れた時はまるで部員不足の公立高校に来たような錯覚に陥ったものだ。夕暮れの打撃練習が始まってもグラウンドには守る選手がいない。白球がカクテル光線に照らされて外野の暗闇に消えていく。その光景はゴルフの打ちっ放しのようでもある。そして、打ち終わると全員で球拾いをする。

 原則1学年10人。県外生はこのうち2人まで。これが智弁和歌山の野球部だ。それ以上の部員は入部させないのだという。このため、3年生が最後の夏にメンバーから漏れることはほとんどない。

 人気校の場合、野球をしたいという生徒を全員受け入れれば、多くの選手は試合にも出られない3年間を送る。指導が行き届かなければ、不祥事が起きる可能性もある。全員の進路相談にのることもできない。ならば、最初から部員を絞り込んでしまう、というのが高嶋監督の考え方だ。

 この背景には高嶋監督自身の経験がある。大学時代、日体大で主将を務めたが、いわゆる「幽霊部員」も含め部員は数百人。主将でありながら、全員の名前と顔が一致しなかったそうだ。こんな野球部でいいのか、という疑問もあったのだろう。

 「少数精鋭」方式には異論を持つ人もいるはずだ。来る者は拒まず、という考えで、狭いグラウンドながらも100人を超える部員を指導している監督は多い。智弁和歌山のように入ってくる部員を制限するのか、それともメンバー選びの段階で出場選手を泣く泣く絞り込むのか。いずれも「選別」を強いられるのだが、どちらが学校の部活動として妥当か、考え方はさまざまだろう。

 4月1日から施行される新しい日本学生野球憲章は、この部分に踏み込んでいる。

 第4条「学生は、合理的理由なしに、部員として学生野球を行う機会を制限されることはない」。その条文の解説にはこうある。

 「例えば、進学クラスとスポーツクラスとがある学校において、進学クラスの学生であることを理由として野球部への入部を拒絶することは許されない」

 学生がスポーツをする権利を学校が奪うことはあってはならないことだ。ただ、現場はさまざまな悩みを抱えている。部員数の問題だけでなく、学業との両立は図れるのか、レベルの高い選手とそうでない選手を同じグラウンドでどうやって指導するのか。特待制度問題をきっかけに議論を重ね、改正された学生野球憲章である。その理念をどうやって現場に反映させていくかは今後の野球界の大きな課題だ。

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