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vol.583-1(2013年 8月7日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―18

 福島よ 前へ前へ 相馬野馬追―  7月29日、朝日新聞朝刊に以上のような見出しのカラー写真入りの記事が掲載された。故郷・南相馬市の「相馬野馬追(のまおい)」が開催された記事だった。が、その記事を読みながら私は苛立った。たしかに甲冑競馬の写真は迫力があり、約45000人の観客を魅了したかもしれない。
 しかし、開催された南相馬市の雲雀ヶ原は除染したとはいえ、未だに放射線量は基準値(毎時0・23マイクロシーベルト)を上回っているからだ。私が6月に計測したときは0・4から0・8だった。3・11前の10倍から20倍の放射線量である。そのような場所で野馬追は開催され、約45000人もの観客を集めたのだ。
 正直、私は思った。
 反原発を唱える朝日なら、もっと厳しい眼で報道すべきだ―。
 連載『プロメテウスの罠』を読むため朝日を購読しているのだが、ときとして「?」の思いを抱かせる記事を載せることがある。昨年の5月12日夕刊1面では『今年は 外で運動会』の見出しで、福島の小学生が屋外で運動会を行っているカラー写真を掲載した。天気は快晴の運動会日和であったが、私は複雑な思いで子どもたちが玉入れをする写真を凝視した。何故なら子どもたち全員が長袖に長ズボンのジャージに帽子、その上にマスクをしていたからだ。この「異常事態」について朝日は1行も触れていなかった。

 7月初旬、私はスウェーデンを訪問した。前号で述べたようにスウェーデン・ノルウェーを中心にした北欧が何故に「みんなのスポーツ」の先進国といわれるのか、この目で確かめることにより、新たに「原発禍におけるフクシマの現実」を感得できる。そう考えたからだ。
 まず、101年前に日本が初めて参加した第5回オリンピック・ストックホルム大会のメイン会場のストックホルム・スタディオンを見学。翌日は市内を散策した。公園では平日にもかかわらず、20人ほどが太極拳をやり、老若男女問わずジョギングで汗を流していた。
 さらにホップ・オン・ポップ・オフの島内巡りの船でユールゴーデン島に渡ると、まさにそこは日本人の私から見れば「みんなのスポーツ」の実践の場でもあった。サイクリングを楽しむ集団、スキーボードをする40代の男たち、ジョギングをする男女、2・3歳の子どもを裸足で遊ばせるお母さんたち、散歩するカップルも多い。10人ほどの少年・少女が入り江で各自ヨットに乗り、指導者に講習を受けていた。私は岸辺に着いた、13歳の少年に声をかけてみた。
 「ヨットは楽しいかい? 他にもスポーツはしてるかい?」
 「うん、楽しいよ。妹と一緒に5日間の講習を受けているんだ。テニスと水泳も週に2回はやってるよ」
 「フットボールは?」
 「もちろん、仲間とやってるよ」
 一緒にいた家人が感心しつついった。
 「母国語はスウェーデン語なのに、13歳でも英語が話せるのね。日本とは違うわ・・・」

 ストックホルムに4日間滞在した後、私は家人の友人であるダンとエヴァ夫妻が住む、ストックホルムから車で2時間半ほどの閑静な町・ボーレンゲに出向いた。
 「ボーレンゲは人口5万人ほどの町で、ここダラーナ地区はとくにスポーツと音楽が盛んなの。でもね、有名なミュージシャンはいっぱいでているけど、スポーツにかける予算のほうが何倍も多いわ」
 そういって音楽教師のエヴァは苦笑。傍らで経営コンサルタントのダンは頷いた。
 ダンとエヴァ夫妻の自宅に滞在した私は、夫妻の別荘に案内されたときに初めてゲートボールに似た「クロケット」というスポーツを見た。隣りの別荘の庭で若者たちが興じていたのだ。
 滞在した3日間、毎日のように私は徒歩で5分とかからない体育館やグラウンドに行った。体育館にはプール・ボウリング場・ボクシングジムなどがある。隣接する広大なグラウンドにはスポーツ少年団に所属する子どもたちだろう、早朝から団旗を掲げてやってくる。サッカーの試合に出場するためだ。夏休みだからかもしれないが、ノルウェーとイスラエルの少年チームも参加していた。ボーレンゲを中心に男女30チーム近くは参加し、保護者を入れれば500人はいる。小学生高学年の部ではノルウェーのチームが優勝。ノルウェーの国旗を振り、子どもや保護者たちが歓声をあげていた。

 1週間の滞在だったが、スウェーデンで私は「みんなのスポーツ」の一端を垣間見た。ボーレンゲからストックホルム・アーランダ空港までは列車で移動したが、車内にはサッカーボールやテニスラケットを抱え持つ少年・少女たちの集団が乗車していた。
 北京経由で羽田空港に到着したのは深夜。荷物を受け取るターンテーブルの円柱には、両面テープで貼り付けたと思われる東京オリンピック招致活動の「この感動を次は、ニッポンで!」と書かれたポスターがあった。アーランダ空港の通路の壁面に「Welcome to my hometown」と出迎えてくれた、スウェーデンを代表する有名アスリートや、IOC(国際オリンピック委員会)理事のグニタ・リンドバーグの写真と比べると、なんとも貧弱であった・・・。

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