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vol.586-1(2013年 9月10日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―21

  2020年開催予定の第32回オリンピックの開催地が「復興オリンピック」をスローガンに掲げた東京に決まった。
 その瞬間、ネット中継を観ていた私の脳裡には、次のような一文が浮かんだ。

  リッチでないのに 
 リッチな世界などわかりません
  ハッピーでもないのに 
 ハッピーな世界などえがけません
  「夢」がないのに
 「夢」をうることなどは・・・とても
 嘘をついてもばれるものです
 
 これは1960年代後半から70年代前半まで、つまり高度経済成長期時代にCMディレクターとして一世を風靡した「CM界の黒澤明」と呼ばれた、杉山登志さんが自死した際に自室にあったメモである。
 私は、何度も杉山さんの言葉を脳裡で繰り返し、そして思った。
 本当に東京開催が「復興オリンピック」となるのか―と。
 昨年2月。東京はIOCに開催計画の概要を記した申請ファイルを提出した。例をあげれば「スポーツの力が、いかに困難に直面した人たちを勇気づけるかを世界に示す」とし、サッカーの一次リーグ戦の一部試合を被災地・宮城県の宮城スタジアムで開催することを盛り込んでいる。
 さらに、福島から東京までの距離は200キロ以上もあると強調。原発事故の災害リスクも極めて低く、地震や津波などの自然災害による中断リスクも低い、といった分析結果も付け加えた。
 が、 3・11後の多発する地震、懸念される首都圏直下の地震発生への不安がある。自然の脅威は時と場所を選ばないのだ。加えて福島第一原発事故から2年半も経つというのに完全に収束していないばかりか、汚染水漏れで世界を呆れさせている。
 以上のことだけ考えても、あまりにも楽観的であり、認識が甘いといってもよい。

 フクシマ取材を続ける私は、改めて力説したい。
 原発禍のために外遊びを禁じられた子どもたちは、鬼ごっこもできない。走りだせばぶつかり合い、廊下を歩けば正面衝突をしてしまう。大事な成長期に満足な運動ができないため、体力が低下してしまったのだ。被災当時は、おにぎりや食パンなどが中心の給食や炊き出し。当然、栄養を考えた食事を摂ることもできなかった。全村避難区域に指定された、飯舘村の小学校の教頭先生は、私を前に強い口調でいった。運動能力の発達阻害・肥満・骨密度減少・抑鬱自己有能感の減少が心配です。フクシマの子どもたちの「身体と心」が危ないです―と。
 長い期間に亘り、体育館などで避難所生活をしていた、ある活発だった小学生は一転しておとなしい子どもになってしまった。走り回ると大人たちに「うるせい。救援物資をやらねえぞ」などと怒られてしまうためで、保護者たちは訴える。子どもたちは去勢されたみたいにおとなしくなってしまった。この反動がいつ爆発するか心配です―と。
 また、福島第1原発から6・5キロ地点に位置していた、養護学校の児童・生徒たちは原発事故後、県内の養護学校九校に分散。ようやく1年後に、いわき市内の仮設校舎に落ち着くことができた。しかし、子どもたちは放射能に脅える生活を余儀なくされている。養護教育ひと筋の校長先生は語る。仮設校舎の2階廊下をちょっとでも走ると、校舎全体が揺れる。そのたびに子どもたちは、3・11を思いだし、脅えてしまう。以前の私たちの養護学校は「動いている学校」で、いつも子どもたちの騒ぐ声が聞こえていた。それが本物の学校だと思います―と。
 原発事故が、子どもたちからスポーツを奪ってしまったのだ。

 最終プレゼンテ―ションで安倍首相は「東京には何の問題もない。放射能汚染水は完全にコントロールされている。問題がないことを約束する」といったが、私は信じない。テレビニュースで汚染水漏れを土嚢で止めている現場を、何度も見ているからだ。地球の裏側で「原発技術行商人」の首相は世界に嘘をついたのか。目に見えない放射能をコントロールすることはできない。
 とにかく、政府は汚染水対策を急ぐとともに、早急に原発禍に喘ぐ子どもたちの健康=生命を考えた『原発禍における体力つくり政策』を打ちだすべきだ。

 日本は過去に招致したものの「返上」した苦い経験がある。
 75年前だ。IOC総会で東京招致を成功させた翌年の1937(昭和12)年7月だった。盧溝橋事件を契機に日中戦争が勃発し、その1年後に日本政府は閣議で1940(昭和15)年開催予定の第12回オリンピック・東京大会、加えて第5回冬季オリンピック・札幌大会も返上することに決定した。日中戦争が長引くと参加ボイコット国が増えると危惧されたためだが、何よりも資金難であった。当時は資源統制の影響で競技場建設に必要な鉄鋼材を確保することは至難の業。鉄鋼材使用を極力抑えても、当時の国家予算の約3パーセントの800万円ほどを競技場建設費に投じなければならなかった。国家的大イベントのオリンピック開催は不可能だった・・・。
 この返上した過去を忘れてはならない。
 原発事故を抱える日本は、2020年の開催まで世界から注視される。メディアも浮かれることなく、厳しくチェックしなければならない。
 私は故郷・南相馬の被災現場で見た「瓦礫の山に掲げられた日の丸」を思いだした。東京招致が決まった現段階を絵にすれば、あれと同じ光景ではないか。いつ瓦礫とともに崩れるかはわからない。

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