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vol.562-1(2013年2月25日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

ルールには競技の「思想」が宿る

 近頃、少年野球の審判をしている。地元チームの指導をしながら、審判講習を受け、今春から公式戦のジャッジもすることになったのだが、公認野球規則を改めて読みながら実感したことがある。ルールとはなんと奥深いものなのか、ということだ。

 たとえばボークの解釈。公認野球規則のボークの項はa項からm項まで13項目あり、それぞれに禁止事項が記されている。全てを覚えるのは容易ではない。ルールに基づいて投手がけん制球の時に踏み出す足の位置やセットポジションの制止状況などを凝視しながら、審判は「ザッツ・ボーク」とコールする感覚を身につけていく。そんな講習を受ける中で、このルールには一つの思想が貫かれていることを知った。

 走者を騙そうという意図が投手の動作に見えたら、審判はボークと判定するのだという。相手を騙す行為は許さない、という競技者たちの考えがルールに反映されているのだ。

 自分が中学や高校でプレーしていた30年ほど前と比べ、ルールが微妙に変わっていることも分かってきた。当時、走者を騙すような、きわどいけん制球を投げる投手は「うまい!」と称賛されたものだ。しかし、今では「汚い」とみなされる。投手だけではない。二塁走者が味方打者に向かって球種やコースのサインを出す行為も昔は普通だったが、今では禁じられている。捕手がホームベースの前に脚を投げ出して走者をタッチする行為も、かつては「ナイス・ブロック!」といわれたが、今は厳格に走塁妨害と判定される。

 ルールには、歴史をかけて培ってきた競技の「思想」が宿っている。野球に携わる人たちは、「騙し合うよりも、正々堂々と戦う野球をやるべきだ」と考え、徐々にルールを変化させてきたのだろう。

 こんなことを考えたのは、レスリングの五輪除外問題でルール変更の話題が出てきたからだ。タイ・プーケットで開かれた国際レスリング連盟(FILA)理事会は、グレコローマンスタイルを中心にルールを変更する方向性を打ち出した。フリースタイルに比べ、下半身の攻防がないグレコローマンは、国際オリンピック委員会(IOC)から「動きが少なく、面白味に欠ける」と見られてきたという。その背景にはテレビ視聴率を意識した五輪競技の採用がある。

 五輪競技に残留できるかどうかはレスリングの発展にとってはきわめて重要だ。しかし、五輪に残る目的のみで歴史ある競技の形を変えていくことに、レスリング界の人たちは違和感を抱かないのだろうか。

 スポーツのルールは本来、その競技に携わる人々が知恵を出し合って作り上げていくものだ。ルールを変更するにしても、IOCやテレビ視聴率といった「見る人」の外圧≠ナはなく、「する人」の思想が注入されていなくてはならない。レスリングの真の魅力とは何か。窮地に立たされた今だからこそ、その本質が問われている。

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