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vol.594-1(2014年1月28日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―27

 昨年10月から私は、今年夏から解体作業に入る「国立競技場」(正式名称は、国立霞ヶ丘競技場)を題材に選び、取材を開始した。国立競技場敷地内の植え込みには誰が植えたのか、グレープフルーツやキンカンなどの木もあり、隠れるように果実をつけている。
ともあれ、ここ最近は時間が許す限り、国立競技場に出向いているためだろう。今では新国立競技場建設のため、立ち退きを余儀なくされる都営霞ヶ丘アパートの住民、さらに明治公園を「ここが俺たちの現住所」と話す、ホームレスたちも貴重な情報を提供してくれる。

 昨年11月末に会ったJさんは、初めは取材に応じるのを躊躇っていた。が、私が福島県出身者だと知ると親しみを込めて語り始めた。
「私の両親は、福島市の農家生まれでね。大正15年に駆け落ちして上京し、今の明治公園に住むようになった。親父は植木職人で皇居の松の木などを植樹し、母親は神宮球場などでキャラメルやお菓子を売っていた。お国のために頑張っていたんだね。私の兄弟は9人で、全員が男だから両親は苦労した。朝から晩まで働いて、戦後になってようやく日本青年館近くに土地を買って家を建ててね。もう庭からは遠くに富士山が見えるし、子どもの私らは神宮外苑で木のぼりしたりね。夏場の暑い日は近くを流れる渋谷川で鮒などの小魚を捕ったり、水浴びもした。自然豊かな土地だったんだ・・・。
 それでね、昭和33年だった。アジア大会を開くということで、それまでの神宮外苑競技場を解体して、国立競技場を造った。あんときは酷かったね。毎日のように解体のためにダイナマイトを爆発させるし、それが終わるとコンクリートの杭打ちだ。その爆発音もすごいし、地面も揺れる。ま、アジア大会のときは引っ越すことはなかったが、問題は東京オリンピックのときだよ。『お前らは目障りだから出て行け!』と、一方的に立ち退きを命令された。生まれ故郷を奪われてしまったわけだ・・・」
Jさんは、遠い日を思いだしつつ続けて語った。
「ま、生まれ育った土地は立ち退き後に明治公園になり、私ら家族は運よくこの霞ヶ丘アパートに住めるようになった。ところが、またもや東京オリンピックを開くには新しく国立競技場を造るといってきてね、再び私ら年寄りたちにも立ち退きを迫っている。80年余の人生で2回もオリンピックのために追い出される。だから『庶民を苦しめるのがオリンピックなのか』って、そう思う訳だよ・・・」
 Jさんの訴えに、私は何度も頷いた。

 ホームレスのNさんは長い間、外苑内の神宮球場の外回廊で風雨、寒さを凌いでいた。が、4年前に追い出されて明治公園で暮らすようになった。明治公園では10余人のホームレスが生活している。
「こんな人生になるとは思わなかったよ・・・」と、タバコを吸いつつホームレス生活10年以上の、Nさんは続けていった。
「去年の春だったかなあ。IOC委員が東京に視察にくるということで、代々木公園にいた連中が追い出されてね、ここにきた。まあ、俺らのような人種がいたら、IOC委員たちがいい顔をしないということだろうよ。新しい国立競技場を造るときは俺らにも仕事が回ってくるかもしんないが、未組織労働者には労災もない。まあ、この指を作業中に切断したときは、うまくくっついたし、親方がいい人で労災にしてくれた。でも、俺らは怪我しても死んでも雇い主も国も面倒を見てくんねえからなあ・・・」
 私の知人によると、かつて丸太で足場を組んでいた時代は危険を伴う大規模建造物作業では、建設費1億円当り1人の犠牲者が出るのは不思議ではなく、孫請けなどの末端の労働者は「弁当と事故は自分持ち」といっていたという。ちなみに昭和33年に建設された国立競技場の建築費用は約13億円で、建設中の死亡者は2人だった。そのため当時の建設業界では「死亡者2人は奇跡だ」といわれた。
「もうすぐ、邪魔者の俺らはここから出ていかなければならない・・・」
昨年の師走、私を前にNさんは力なくいった。この日の夜、ホームレスを支援するNPO法人は「オリンピックなんて、やってる場合か!」と、渋谷の神宮通公園で集会を開いた。

 現在の国立競技場の4倍もの、新国立競技場の建設工事が始まれば明治公園も、10棟ある都営霞ヶ丘アパートも消えてしまう。
 明治公園ではいろんなイベントが行われてきた。休日にはフリーマーケットやドッグコンテストなど。平日は機動隊員や消防署員の訓練も見られたし、キャッチボールをする父子、サッカーボールを蹴る若者たち、昼寝するサラリーマン、談笑するOL、トイレを使用するタクシー運転手、洗濯物を干すホームレス、愛犬を散歩させるセレブ・・・。デモの集会場所でもあり、いろんな人生模様を垣間見ることができる、私の好きな公園のひとつだった。
 1月のある日の午後。20台ほどのバイクが公園内をゆっくりと走っていた。円錐の赤いパイロンを並べた間や、30センチほどの板の上を走る。これまで何回も見かけた光景だ。見守る警官に尋ねた。
「何をしているんですか?」
「はい。バイクの安全運転指導の講習会をやっています。だれでも参加できます。バイクに乗る人たちは、2日も乗らないと平衡感覚が狂ってしまい、事故を起こす可能性が高いです。そのためこうして普段は走らないコースをつくり、ボランティアの指導員の協力を得て講習会を開いています。私は赤坂署の者なんですが、その他に四谷署や渋谷署、新宿署などもここで講習会を開いています・・・」
 警官と話していると、参加者の中年男性が私に「是非とも書いて欲しい」と、次のように語った。
「ここでの講習会は、国立競技場の解体準備のために2月で終わりだそうです。警視庁の白バイ隊は、晴海の国際見本市をやっていた場所で訓練しているんですが、あそこもオリンピックの選手村を造るとかで使用できなくなる。巨大な新国立競技場などの会場を造るんなら、その前に老朽化した首都高速道路を何とかして欲しい。ぼくらドライバーにとっては、走るのが怖いです・・・」
 この日の帰り、都営霞ヶ丘アパートに寄ると、運よく庭掃除中のJさんに会えた。正月に福島に帰ったことを告げると、しんみりとした口調でこういった。
「私の亡くなった両親の故郷・福島は放射能で酷い目に遭っているし、東京に住む私らはオリンピックに翻弄されている。どちらも国の政策が悪いために起きた悲劇だね・・・」

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