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vol.595-1(2014年2月5日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―28

 この1月末。ネットで検索していると、原発禍にある富岡町のNPO法人が、富岡町と大熊町の国道6号線沿いに桜の木を植えたというニュースを見つけた。「故郷に素晴らしい桜の道をつくろう!」と、今後10年間に2万本の桜の苗木を国道6号線沿いに植樹する。そこでまずは、200本の桜の苗木を植えたと報じていた。
しかし、放射線量が高い帰還困難区域や、居住制限区域、避難指示解除準備区域に桜の木を植えてどうするのか。正直、私は「ん?」と首を傾げた。未だに完全に汚染水を止めることもできず、放射性物質が噴出し、除染も進まず、中間貯蔵施設設置も決まっていない。そんな現状を熟知しているはずのNPO法人に対し「もっと他にやるべきことがあるのでは?」と疑問を抱いてしまったからだ。

 南相馬市が故郷である私は、何度も悲惨な現場に足を運んだ。海岸から3キロも離れている、国道6号線沿いにある小学校の校庭には船が流され、教室は滅茶苦茶に破壊されていた。避難所に指定されていた野球場に逃げた住民は津波にのみ込まれ、海岸沿いの防風林や防砂林はなぎ倒され、瓦礫となって流された。さらに世界中を震撼させた原発事故が起こり、未だ多くの住民は全国各地に避難している。それが現実だ。
 昨年春からは高線量の帰還困難区域には入れないが、遠くに原発が見える場所まで入ることができるようになった。私は浪江町の請戸小学校や浪江中学校、浪江高校を訪ねた。もちろん、全域が避難区域のために児童・生徒の姿はなく、地震で校舎内は荒れ、主を失った運動靴が散乱し、マットやバスケットボールなどが窓から見える。校内の植木は枯れ、グラウンドは雑草で覆われていた・・・。
そのような悲惨な光景を目にするたびに、3・11以前の日常を取り戻せるのはいつの日かと考えた。年間積算量1ミリシーベルト以内に抑える、毎時0・23マイクロシーベルトにする除染を徹底すべきである。それが実施されたとき、初めて桜の木を植えるのだ。
そして、ネットのニュースを読みつつ、私は18年前に読んだ1冊の本を思いだした。
フランス人作家のジャン・ジオンの『木を植えた男』―。

 前号のルポで、私は昨年10月から取材している「国立競技場」について書いた。これまで10人以上の、国立競技場に携わった人たちから話を聞いている。
その中のひとり、造園会社に勤務していた植木職人のAさんは、まさに「木を植えた男」といってよい。50年前の東京オリンピックの際、国立競技場のフィールドの芝生を管理する一方、正門周辺の「明治公園・四季の庭」や、日本青年館が隣接する「明治公園・霞岳(かすみがおか)広場」にコナラ、カエデ、クロマツ、マテバシイ、ツバキ、ツツジ、クスノキ、ヤマモモ、ケヤキ、山茶花、銀杏などを植樹した。国立競技場と一体となる明治公園を造ったのだ。
 すでにAさんは定年退職しているが、私の取材に快く応じた。
「多くのみなさんは国立競技場というと、あのスタンドやトラック、フィールドがある建物だけだと思っている。しかし、周辺の明治公園なども入れて、初めて国立競技場なんですね。私は代々木体育館の隣りの代々木公園、駒沢のオリンピック公園、全国各地の運動公園なども手がけました・・・」
 穏やかな表情で語るAさんは、東京オリンピック開催中の逸話を語った。連日のように国立競技場に通い、競技が終わると荒れたフィールドを整備した。
「やっかいだったのは、ハンマー投の競技が行われた後だった。競技場の管理課の人たちとフィールドを整備するんですが、ハンマーが直撃した箇所は腕の肘部分まで入るほどの穴が開いている。この話をすると、誰もが『ウソでしょ』といって、信じない。でも、それは本当の話で、その穴を埋めて元通りにする作業が大変でね。まあ、夜中まで作業をするんだが、終わると私たち職人は『俺はボブ・ヘイズだ』なんていいながら、選手になった気分で100メートルのコースを走ったり、楽しんでいましたね・・・」
 Aさんの思い出は尽きない。が、新国立競技場建設の話題に及ぶと、やるせない表情を見せた。私の取材の参考用に持参した、50年前に撮った国立競技場の写真を手に語った。
「私は自分が手がけた現場を、このように写真に撮ることにしている。役所に提出することもあるんだが、それだけでない。私の場合は、仕事を終えた後も時間があれば現場に行くことにしている。植樹した木が無事に成長しているか気になってね。それで行ったときは、木に話かけるんですよ。『どうだ、元気か?』『いい空気を吸ってっか?』『相変わらず元気だなあ』なんてね・・・」
 ここまで語ると、Aさんは一拍置いた。続けていった。
「でもねえ、もうすぐ新国立競技場建築のため、今の国立競技場の樹木の多くは伐採される。個人的な感情でいえば、やっぱり悔しいし、哀しいですね。たしかに建物は年が経てば老朽化する。しかし、成長した樹木は何百年経っても元気だし、生き物には命がある。それを思えば、伐採なんかしないでね、神社のご神木のように“立てびき”で、別な場所に移植して欲しい。お金はかかるけど・・・」
 Aさんを取材した後の1月末、国立競技場に行った。開かずの門といわれた正門周辺の明治公園・四季の庭を散策していると、次のように書かれた立て看板を見つけた。
《お知らせ 新国立競技場整備のための下水道盛替え工事に伴う埋蔵文化財発掘調査のため、1月下旬以降、樹木の移植及び伐採を行います。赤テープの木は移植します。青テープの木は伐採します。
問合せ先 独立行政法人日本スポーツ振興センター新国立競技場設置本部・・・》
 読みながら、私はAさんの切ない気持ちがわかった。

 仕事部屋の本棚の片隅に、18年前に読んだ『木を植えた男』がある。心新たに頁をめくっていると、思いだした。初めて読んだ当時、著名な農学博士を取材したことがある。とくに芝生について研究する彼に、本について語ると「じゃあ、私は『芝を植える男』だね」といって苦笑。あるイスラムの諺を教えてくれた。
《3日間の幸福を得たいのなら麻薬を、3ヵ月間の幸福を得るには新しい女房を、一生の幸福を得るには木を植えろ・・・》
 18年後の今、私は思う。たとえ原発禍の荒れた大地に木を植えたとしても、どれだけの幸福を得られるというのか。放射能は樹木までも汚染してしまうのだから・・・。

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