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vol.601-1(2014年4月10日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―32

 「国は防災対策に全力を注いでいるといってるが、何が防災対策だよ。雪が降っただけでも、南相馬は陸の孤島になってしまう・・・」
 ここは南相馬市原町区の居酒屋“O”。3月初旬、久しぶりに訪ねたときだ。顔見知りのAさんは、私を前に続けていった。
 「東京も同じだったらしいけど、この2月に2回も大雪に見舞われたときだね。雪のため福島市に通じる国道が1週間も閉鎖されてしまった。会津から除雪車を借りてきてようやく通じたが、その間にもし原発が再び爆発したらどうなる。この3年間で私ら住民の身体は、もう放射能で満タンになってんじゃないの・・・」
 この話に頷く私の隣で、高校時代からの友人もいった。
 「3・11後の俺らの話題といったら、原発のことばっかりだ。死ぬまで原発の話をするんだろうよ・・・」
 店内の片隅には、ランニングクラブを主宰するマスターのTさんが撮った、数え切れないほどのスナップ写真が飾られている。
 「もう南相馬で走るのは無理なため、今年は神奈川県の湘南に遠征して、久しぶりに走りましたよ。結果は、途中棄権でバスのお世話になったけど、放射能を気にしないで走るのはいいです・・・」
 写真を眺めていると、カウンター越しにTさんがいった。

 3・11から丸3年が経ち、4年目に入った。
 月に1度の割で南相馬市に出向いている私は、帰郷するたびに「故郷はいいなあ・・・」と思う。が、ときとして「なんで田舎はこんなにも閉鎖的なんだ?」と首を傾げてしまうこともある。
 3・11から6ヵ月後の2011年の9月だった。住民の間から「子どもたちを内部被曝から守れ!」の声が起こり『フクシマの命と未来を放射能から守る会』が発足。月1の割で、JR原ノ町駅と市役所間の往復約3キロの道のりをデモ行進することになった。
 「政府は、年間1ミリシーベルト以下の基準値を堅持せよ!」
 「放射能汚染から水道、地下水を守れ!」
 「行政は子どもたちを守れ。健康を最優先とする施策を行え!」
 大声でシュプレヒコールを繰り返すデモが開始された。当初の参加者は10人にも満たなかったが、やがて参加者は20人、30人、40人と増えていった。一般住民の賛同を得たのだ。
 初めて私がデモ隊を取材したのは、3・11から1年目を翌日に控えた2012年3月10日だった。みぞれが降りしきる寒い中、赤文字で大きく「原発一揆だ!」と書かれたタテカンもある。福島県警のパトカーに監視されながらも「さよなら原発、東電もバイバイ!」「自然エネルギーで明るい未来を!」などと記されたポンチョを着て、レインコート姿で訴えていた。
 「今日は雪のため参加者は少ないが、明日は1年目だしね。できれば100人、いや200人以上は参加してもらいたい。子どもたちを案じて、みんな原発には大反対なんだから・・・」
 参加者の1人は、同行した私に語った。
 ところが、このデモは1年も続かず、中止になってしまった。その理由を聞いて、私はア然とした。
 デモなんかに参加していたら「アカ」に思われる―。
 これが中止にした主な理由だったからだ。複数の関係者の話をまとめると、以下のようになる。
 ―初めはお父さんやお母さんたちが、純粋に『子どもたちを守れ!』『原発反対!』ということでスタートしたんです。ところが、そのうち共産党の人というか、左翼系の人たちも参加するようになって、住民から『デモをやってる人は“アカ”じゃないか・・・』という声が出るようになった。まあ、閉鎖的とか時代錯誤といわれても仕方ないんですが、田舎でデモなんかに参加していたらアカと思われる風潮はたしかにある。とくに商売をやってる者は、ヘンなレッテルを貼られたら仕事に影響するというしね。いろいろ話し合った結果、中止することにしたんです・・・。

 もちろん、福島の人たちだれもが閉鎖的であるはずはない。地道な反原発運動に取り組み、毎週金曜日夜に首相官邸前に足を運び「再稼働反対!」を訴える人たちもいる。
 「安倍首相って、1度自分から首相を辞めた人でしょう。そんな人を私は信じません。私も家族も『原発反対!』です・・・」
 ある金曜日夜の首相官邸前、郡山市から駆けつけた19歳の女性はマイクを手に強い口調でいった。彼女は原発事故による被曝を恐れ、なんと家族とともに台湾に避難していたという。
 しかし、被災者の中には往々にして「現実を直視しない力が働いているのでは?」と、そう私は生意気にも思ってしまうのだ。
 昨年師走まで双葉町の避難所だった、埼玉県加須市の旧・騎西高校を何度か訪ねたが、住民から次のような声を聞いたことがある。
 「みんなして『フクシマ、フクシマ』といって騒いでいたら、日本は動かねえ。福島だけが日本じゃねえし・・・」
 「これまで東電のお陰で生活してきたんだから、悪口はいいたくない。裏切られた? そんなもん、生きていればよくあることだ・・・」
 「都会の人は元気だよ。毎週、首相官邸前に集まっては叫んでる。まあ、国の政策には不満だが、口にしても何も変わらん・・・」
 故郷を離れることを余儀なくされた人たちは、長期間にわたる避難所生活で疲れ果てている。それは痛いほどわかるが、被災者が中心となって現実を発信しない限り、福島はフクシマのままだ・・・。

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