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vol.606-2(2014年5月15日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―34

 人気漫画『美味しんぼ』の原発事故をめぐる描写に対し、福島県は「県民の心情を全く顧みず深く傷つけ、農林水産業や観光業への深刻な損失を与えかねない」「断固容認できず、極めて遺憾」などと発行元の出版社に抗議し、それに倣って政府閣僚や県議員たちも抗議声明を出した。
 その契機となったのは、原発構内を取材した漫画の主人公らが原因不明の鼻血を出したことについて、原発事故発生当時の双葉町の町長だった井戸川克隆さんの「福島では同じ症状の人が大勢いますよ」「鼻血や疲労感で苦しむ人が大勢いるのは被ばくしたから」などの発言を紹介。さらに福島大学准教授も実名で「福島はもう住めない、安全には暮らせない」と語っているからだ。
 いずれにせよ、未だ10万人以上の県民が放射能を恐れ、故郷を離れて避難生活を強いられている現実を直視。抗議された側はきちんと根拠を示し、抗議した側も単に抗議や苦言を呈するだけに止まらず、あらためて実状を検証すべきではないか。原発事故は全世界が注視する、大問題であることを忘れてはならない。

 漫画にも登場している井戸川さんが双葉町の町長時代、私は3回ほどインタビューしている。一昨年の12月だった。場所は双葉町役場が移転していた、埼玉県加須市の旧・騎西高校内に設けられた町長室。ティッシュを手に語った。
 「原発事故以来、年中こうして鼻水が出るためにかいでいる。咽喉も眼も悪くなっているし、心臓の調子もよくない。私のような年寄りはいいんだが、福島に住んでいる多くの子どもたちはもうマスクをしていないと聞く。これは命にかかわる大問題じゃないですか。嘘ばかりつく政治家だけじゃなく、真実を報道しないメディアにも責任がある。放射能に対してはいくらでも臆病になるべきなんです。だから私は、住民とともにここ埼玉まで逃げてきたんですよ・・・」
 井戸川さんは何度も「放射能に対しては臆病になるべきです」と強調し、次のような話も披露した。それは3年前の3・11から丸1日が経った3月12日の午後3時36分。福島第一原発1号機の原子炉建屋で水素爆発が起きたときだった。「役場の職員たちと一緒に、町の福祉施設で住民の避難誘導にあたっているときに、プロパンガスが爆発したような『ドン!』という音がしてね。すぐ原子炉の建屋が爆発したとわかった。それで2、3分経った頃だった。空からぼたん雪というか、綿のような物が降ってきた。私は唖然としつつも『これは“死の灰”だ・・・』と思った。周りには自衛隊員や警察官もいて、みんな一瞬シーンとなって空を見上げていた。5分以上は降っていたと思うが、やんだ後はみんな『これで俺たちの人生は終わった・・・』と、そういっていた。ヘルメットや帽子を被っていない自衛隊員もいたし、あの人たちはその後どうなったか、今でも気になるんですよ・・・」
 井戸川さんは真顔でいった。
 死の灰が降ってきた―。
 この衝撃的な死の灰について、私は井戸川さんだけでなく複数の双葉町役場職員、住民たちからも聞いている。
 「何故そう思ったかはわかりませんが、私も空から降ってきたときは『わあ、これって死の灰じゃないの?』って、心の中で叫びました。たぶん建屋の保温材の繊維だと思うんですが、大きいのはテニスボールくらいありました。もう怖かったです・・・」
 運よく屋内にいて、窓から死の灰が降ってくるのを見たという職員の1人はそう証言した。また、ある住民によれば、その死の灰は保温材の繊維だけではなく、爆発で粉々になったコンクリートも降ってきたという・・・。

 この4月末。私は原発から10キロ圏内の双葉郡浪江町に出向いた。持参した放射線量計を見ると、高いところでは毎時4・71マイクロシーベルトが計測された。3・11前の約100倍の線量だ。
 午前9時〜午後4時までしか住民が滞在できない居住制限区域には入れるが、年間積算量50ミリシーベルトを超える区域の帰還困難区域には入ることはできない。入るには許可証が必要だが、フリーランスの立場で取材する私のような者にはなかなか許可が下りないだろう。
 帰還困難区域に通じる道路には検問所が設置されているが、私と同年代の警備員が気軽に取材に応じてくれた。1日の危険手当は除染作業員の約半分、6000円ほどだという。
 「つい最近までは13時間勤務交替で、5人で警備していた。ところが、なんでもその間に浴びる放射線量は12マイクロシーベルトで、元請けのK建設は『それは危険だ』と判断したんだろうな。半分の6・5時間勤務交替になった。つまり、私らは1日6時間30分勤務で、その間に6マイクロシーベルトの放射能を被曝しているということだな。(放射能が)怖い? そりゃあ、相手は目に見えないから怖いけど、もう私は60半ばだし、深くは考えたくないね・・・」
 居住制限区域である、浪江町の請戸地区。海岸線から約500メートルの地点にある請戸小学校を訪ねた。1年前にきたときと状況は変わらず、周辺は瓦礫だらけ。請戸港から流された船もそのままだ。
 天気は快晴。だれもいない海岸に立ち、南方に目をやると3キロほど先に双葉海水浴場の海の家“マリンハウス”がかすかに見える。環境省が選定する「快水浴場百選」や「日本の水浴場88選」「日本の水浴場55選」にも選ばれ、毎年夏ともなれば多くの海水浴客で賑わっていた。が、当然のごとく3・11で海岸は破壊されてしまった。
 その双葉海水浴場の遠く後方の松林と思われる上に、ぼんやりと福島第一原発の数本の煙突らしき影が見えた。眺めていると苛立ってきた。
 「バカヤロー!」
 私は何度も大声を出した。そう叫ばずにはいられなかった・・・。

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