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vol.612-1(2014年6月24日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―38

 相変わらず民意を無視し続ける安倍首相。部下の石原環境大臣も「金目失言」で、本日23日の朝から福島に出向いて謝罪行脚をしているものの、頭を下げればいいというわけではない。
 不甲斐ない閣僚だが、ご両人ともお坊ちゃま育ちの世襲議員。選んだ国民にも責任がある。が、少なくとも「福島の復興なくして日本の再生はない」と思うのなら、次の言葉を肝に銘じて欲しい。
 ―核エネルギーを持ってはいけない。政治権力者にウソをつかせるから・・・。
 これは6月21日付の朝日新聞の連載記事「核といのちを考える」から引いたもので、インタビューに応じた作詞家・なかにし礼さんが『原子力帝国』の著者、行動する思想家のロベルト・ユンクの言葉として紹介していた。8月2日に長崎市で開催される、国際シンポジウム『核兵器廃絶への道』でオペラ歌手の佐藤しのぶさんが歌う『リメンバー』の作詞を、なかにし礼さんは手がけている。

 身体にガタがきているのだろう、団塊の世代の私はときおり病院に行く。採血され、血圧が測定され、診察を受ける。ときにはレントゲン撮影のため、ドアに“放射線管理区域”と書かれたレントゲン室に入る。そのたびに思う。
 故郷・南相馬の人たちは、毎日を放射線管理区域のレントゲン室で生活を送っているとのと同じではないのか・・・。
 ICRP(国際放射線防護委員会)が定める、一般公衆の年間被曝線量の限度は1ミリシーベルトであり、毎時にすると0・23マイクロシーベルト。ただし、レントゲン技師などの放射線作業者の年間被曝線量は20倍の20ミリシーベルトとなっているからだ。
 ちょうど1年前の昨日、6月22日だった。原発の恐ろしさを訴え続ける、京都大学の原子力工学者・小出裕章さんが南相馬市で講演した際、住民を前に次のような内容の話をした。
 「・・・私は放射線管理区域で仕事をする、放射線作業者です。そのため年間20ミリシーベルトの被曝までは許されており、これは法律で決められています。しかし、特殊な仕事をする私と、一般人のみなさんは違います。原発から30キロ圏内の南相馬市の年間被曝線量は1ミリシーベルトを超えています。つまり、放射線管理区域で生活していると同然ですから、すぐさま避難すべきだと、そう私は思うのです・・・」
 この小出さんの意見に、私は同調する。
 現在、南相馬市では除染作業が進んでいる。しかし、いかに除染をしても放射線量は下がったとはいえない。ルポ30で除染作業員が「除染は数値よりも見た目」と証言しているからだ。そのためかもしれない。できるだけ作業員は地元住民と接触しないように、関係者以外立ち入り禁止のプレハブ造りの休憩所に隔離されるように滞在。夜の外出も制限されているといわれる。
 その除染作業で出た、放射性物質で汚染された土壌などは黒いフレコンバッグに入れられ、仮置き場に積んである。私の母校・原町高校から200メートルほどの場所にも仮置き場があり、周囲の放射線量は0・4マイクロシーベルト以上が測定された。その近くには大規模なショッピングセンター、家屋、仮設住宅があり、半径1キロ圏内には子どもたちが通学する小・中学校もある。
 「ホント、俺たち市民は放射線管理区域というか、毎日をレントゲン室で食事をして、寝るという生活をしてる。それは間違いないことで小出さんがいう通りで、そんなことはみんなわかってんだ。でも、そう指摘されると、南相馬の人たちは『じゃあ、ここよりも線量が高い福島や郡山で生活する人間はどうすんだ?』というんだよ・・・。20代や30代前半の所帯持ちは、子どもと一緒に県外に避難しているけどね。それ以外の30代後半から40代、50代の連中は家族と避難しても、避難先で仕事を探すのは難しい。だから、南相馬からは離れられないんだよ。
 俺も同じだけど、ここで生活する人たちは自分自身を慰めて、自分なりの安全神話をつくってね、納得するほかないんじゃないの。まあ、天気のいい日に1、2歳の孫を日向ぼっこさせている馬鹿なジジイもいるけどね。とにかく、避難した者も、避難できない者もみんな苦しんでる。ウソばかりつく政治家には期待できねえし・・・」
 小出さんの講演を聴いた、60代の知人はいった。独自に庭を除染した彼は、作業で身に付けた服や靴などはすべて処分。「ウチのだんなは潔癖症になったんだ」といって笑う奥さんも、洗濯物は屋内で干し、よほどのことがない限り窓も開けない。東京で暮らす、独身の娘さんには「被曝するから絶対に戻って来るな!」と、そう強くいっているという。

  私の手元には老母から手渡された、福島県退職女性教職員「あけぼの会」が1年前に編纂した『伝えたい 福島の3・11』がある。私の中学時代の英語の先生、恩師のWさんも寄稿している。3・11から11ヵ月後に南相馬市で開催されたフェスティバルの際、紙に描いた大きな木「想いのツリー」に子どもたちが当時の心境を綴った、叫びの声を紹介していた。一部を記したい。

  ・30キロ以内に子どもがいてもいいの? ・雨でもサッカーできるようになりますか? ・僕はいつまで楽しく生きられるのでしょうか? ・将来子どもを産めますか? ・東電と政府がついたウソの数は? ・甲状腺ガンは僕たちを死においやる病気ですか? ・私たちが将来白血病やガンになる確率は何%ですか? ・原発はもう爆発しませんか? ・もうこれ以上私たちを苦しめないで!

 「岡君ね、拡散した放射能物質は永久に存在し、スローデス(緩やかな死)を招くのよ。こんな危険な原発はいりません。フクシマの最悪の現状から学び、日本人の良識を持って早く廃炉にするの。日本の在り方を真摯に考えましょう・・・」
 夫とともに原発禍の南相馬市で暮らす、恩師のWさんは私を前に50年前と同じ柔和な顔でいった。夫はチェルノブイリに足を運ぶなど、多くの著書をものにしている詩人である。

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