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vol.615-1(2014年7月25日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―41

 7月5日午後8時ちょうど。JR福島駅西口発の南相馬市行の最終バスに乗車し、最前列に座った私に運転手がいってきた。
 「今日の原町(南相馬市原町区)は28度くらいあったが、飯舘村辺りは17度くらいだった」
 「そんなに気温は違いますか?」
 そう応じた私に、運転手は苦笑いを浮かべていった。
 「まあ、あの辺は(放射)線量も高いからね、身も心も寒いんだ・・・」
 その飯舘村には1時間ほどで入る。昨年まで私はバスに乗るたびに車内で線量計を手に計測していたが、川俣町を通過して飯舘村に入ると一気に数値は上った。窓が閉ざされた車内でも2マイクロシーベルト(毎時)が計測されることもあった。知人の建設関係者がいっていた。
 「岡さん、甘いです。去年の8月10日でしたね、相双地区の建設業者が共同で飯舘村の道路を清掃した。まあ、道路沿いは2〜3マイクロシーベルトだったけど、ちょっと藪や山側に入ると10、20と高い。正直、除染しても焼け石に水ですね。雨が降るたびに山から放射能が流れてくるんですから・・・」
 午後9時にバスは飯舘村に入る。暗闇の右手にうっすらと飯舘村立臼石小学校の校舎が見えた。今も飯舘村の臼石小・草野小・飯樋小の3校の児童たちは、避難先の福島市や伊達市の借上げ住宅・アパートや仮設住宅などに家族と住み、川俣町の仮設校舎に巡回バスで通学しているという。
 「ガソリンスタンドはやってんだ。自販機の電気も点いてんな・・・」
 乗客のだれかが呟くようにいうと、他の乗客が応じていった。
 「復興作業員が滞在しているからだろう・・・」
 この言葉で私は、あらためて飯舘村を取材することに決めた。午後9時37分にJR原ノ町駅前で下車し、実家に急いだ。

 翌日の6日、少年時代に海水浴に興じていた北泉海岸に行った。この日は、福島県サーフィン連盟が定期的に実施しているビーチクリーンの日で、全国各地から集まった約100人に及ぶサーファーが海岸を清掃していた。
 ともあれ、プロの世界大会が何度も開催されたこともある、北泉海岸が日本有数のサーフィン・ポイントといわれるのは何故か。知人は次のように説明した。
 「北泉は遠浅なんだが、突然深くなっている場所がある。それがいいんだ。深くなっているところに波がくると“チキン波”といってな、ニワトリが羽を広げたような高い波ができるんだ。それがサーファーにとってはたまんねえんだろうな。そういった波が常にきているため、全国からサーファーが集まってくる。あのキムタクや工藤静香もきてたらしいよ・・・」
 なるほどなあ、と感心する私に知人は続けていった。
 「その深くなっている場所にはスズキやヒラメがいる。原発事故後は漁も規制されているためスズキやヒラメは、もう餌のコオナゴなどの小魚を食べ放題で、釣なんかすると太ったでかいのがかかってくる。でもな、俺なんかは食わないよ。放射能が怖くてな・・・」
 現在の北泉海岸は、破壊されたままだ。3・11から4回目の夏を迎えても復興の兆しは見えてこない。
 この日は、今週土曜の26日から3日間に亘って開催される、国の重要無形民俗文化財に指定されている「相馬野馬追」の会場、雲雀ヶ原に行った。会場近くのモニタリングポストを見ると、放射線量はなんと毎時0・379マイクロシーベルト。正直、私は思った。基準値(毎時0・23マイクロシーベルト)を上回る場所に多くの観客を集めるのは無謀ではないか。もし都内の線量が0・3以上だったら、パニックになるのではないか、と―。

 翌7日の月曜日。高校時代の友人が貸してくれた、ウクライナ製の放射線量計を持参して飯舘村に向かった。毎時0・6マイクロシーベルトを超えるとブザーが鳴るように設定されている線量計は、村内に入るとほぼ鳴りっぱなし状態だ。
 村役場玄関前。モニタリングポストは0・43〜0・44を計測しているが、私の線量計は0・60以上を計測しているためにブザーが鳴っている。職員に尋ねるとこういった。
 「あれは民間からの寄付ですから、どうも狂っているみたいです。向こう側のいちばん館の敷地内にあるモニタリングポストを見てください。原子力規制庁が設置したものですから正しいと思います」
 その鉄柵で囲まれたモニタリングポストのところに行くと「文部科学省」と記されていたが、どこを探しても数値は表示されていない。私の線量計は相変わらずブザーが鳴っているが、数値が表示されないモニタリングポストってありなの? 細工でもしてんの?
 「そういわれれば、どこにも数値は表示されてませんね・・・」
 いいたて全村見守り隊詰所にいた村民は、首を傾げていった。念のため原子力規制庁監視情報課に問い合わせると、数値はテレメーターで監視情報課に送られるだけでなく、小さな窓(縦8a、横15a)に表示されていると説明した。その小さな窓を私は発見できなかったわけだが、村民が一目でわかるように表示すべきだ。環境省の外局の原子力規制庁は、全国の原発の再稼働を強く勧める原子力規制委員会を支える事務局の役目を担っている。それを考えると、疑いの眼で見るのは私だけではないだろう。
 ともあれ、私は村内の草野小・臼石小・飯樋小の3校を訪ね、敷地内の線量を測った。臼石小は0・60〜0・70だったが、飯樋小は1・52〜1・70であり、草野小の裏庭に山積みされていたフレコンバッグの上に線量計を置くと、なんと3・62が計測された。
 何度も溜息をつきながら、私は村内をまわった。すれ違う車両は大成・熊谷・東急のJV(ジョイント・ベンチャー)の除染関係のトラックやライトバンばかりだ。駐車場になった野球場に行くと、会津・いわき・山梨・宮城・山形・仙台・三重・函館・旭川・福山などのナンバーの車がある。全国から復興作業員が集まっているのだ。
 山間部での除染作業を眺めていると、年配の作業員に忠告された。
 「そんなTシャツ姿の上、マスクもしないでいたら駄目だ。この辺はかなり線量が高いから気を付けろ・・・」
 私は頷き、取材であることを告げてからいった。
 「すみません。写真を撮ってもいいでしょうか?」
 「いいよ・・・」
 そういって彼は、胸のポケットから線量計まで取り出してくれた。
 「俺たちは作業を終えて事務所に戻ると、その日に浴びた線量を測ることを義務づけられている。まあ、除染作業員は年間20ミリシーベルトまでは許されるが、目に見えねえ放射能はやっかいだ・・・」
 私は頭を下げ、シャッターを切った。

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