スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ
vol.620-1(2014年9月30日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―46

 トルコ・イスタンブールに行った―。
が、旅立つ2日前の9月10日に悲報が・・・。50年前の東京オリンピック開会式の最終聖火ランナー・坂井義則さんが亡くなったのだ。享年69。私は即座に大ちゃんの悲しむ姿を脳裡に浮かべた。
 「岡さんね、入院して間もなくだった。集中治療室の坂井さんを見舞った。面会謝絶だったけど、私は坂井さんに会いたい一心だった。そしたら意識がないのに足を、手を動かした。坂井さんは青春時代の東京オリンピックの開会式を思いだしていた。足は聖火台への階段を駆け上がる仕草で、手は聖火を点す仕草だった・・・」
 電話をすると、大ちゃんはしんみりとした口調でいった。
 新宿・東口の「酒寮・大小原」。“アスリートが集う居酒屋”として知られ、坂井さんの贔屓の店だった。主に毎週月曜日夜に姿を見せ、大好きな日本酒を口にし、タバコをくゆらす。大ちゃんこと店主の大小原貞夫さんを前にスポーツを語る。私は何度も同席し、取材をさせていただいた。店内には東京オリンピックで使用した、聖火トーチが展示されたこともある・・・。坂井さん、お疲れさまでした。合掌

 成田からモスクワまで約12時間。さらにモスクワから3時間ほどでイスタンブールに着く。天候は日本と変わりなく、9月半ばとは思えないほど陽射しが強い日もあった。
 何故にイスタンブールなのか。昨年の5月半ばだった。イスタンブールのタクシム広場では反政府のデモ・集会が連日開かれた。当時のエルドアン首相(現・大統領)が、タクシム広場と隣接するゲズィ公園を再開発し、ショッピングモールの建設を一方的に打ちだした。そのような政権に対して市民は怒りを爆発させたのだ。
 デモ・集会は約1ヵ月間続き、政府側警官は催涙弾と放水車で市民を強制排除。このことは世界中に打電され、結果として4ヵ月後の9月に行われたIOC総会で2020年オリンピック開催地はイスタンブールではなく、「復興オリンピック」を掲げる東京に決まった。
 家人とともにイスタンブールに出向いたのだが、私の最大の目的は東京にオリンピック開催をもたらす結果となった、タクシム広場とゲズィ公園を訪ねることだった。どうしても当時の市民の声を聞きたかったのだ。
 「パソコンで“Taxin Protest”を検索すれば、当時の状況が理解できます。このサイトの写真を見ればわかるように、連日のように1万人以上の善良な市民が広場に集まって抗議をしたのですが、警官に次々と排除されました。あの騒動がなければ、もちろんイスタンブールは2020年のオリンピック開催地に決まっていました。経済のみを考えることしかできなかった、エルドアン政権の敗北です・・・」
 タクシム広場を俯瞰することができるビル。その一室にオフィスを構える50代のトルコ人は、突然訪ねた私の取材に応じた。パソコンを開き、映し出された写真を見せつつ当時を説明した。
 当然、トルコ人の知人にも尋ねた。アメリカの大学留学経験もあり、この10月からポーランドの大学に留学する彼女は語った。
 「昨年の5月、政権がタクシム広場とゲズィ公園を壊し、ショッピングモールを建設すると発表したとき、私と父は抗議のためタクシム公園に行きました。会社のオーナーの父は、経済発展の政策を打ちだす政権を支持しています。しかし、タクシム広場は、昔から歴史ある市民の“プロテストの場”として有名で、ゲズィ公園は数少ない“憩いの場”です。そのため父も黙認することができなかったのでしょう。私とともにタクシム広場に出かけたのです・・・」
 彼女は続けていった。
 「そして、私たちが抗議に行って間もなくです。“スタンディングマン”が現れました。彼は広場に立ち、静かに抗議をしました。その抗議が共感を得たと思います。日が経つにつれて彼に同調する市民が3人、4人と増えて、15人になったときです。エルドアン首相は『政権に反対する者は母国に帰れ!』と暴言を吐きました。それが引き金になり、多くの市民が怒り、騒動が1ヵ月続くことになったのです。市民がエルドアンを独裁者と呼ぶのはそのためです・・・」

 イスタンブールには1週間滞在した。モスクに行き、聖地に向かい礼拝を捧げる、敬虔なイスラム教徒の姿には頭が下がる。街中を散策していると声をかけられる。
 「チャイニーズ? コリアン?」
 「ノー、ジャパニーズ・・・」
 「ジャパニーズ? じゃあ、お前はヤマモトか? トウジョウか? それともヒロヒトか?」
 これにはあ然としてしまった。レストランに入ると、私を前に連発するボーイの言葉にも参った。
 「オー、ジャパニーズ、オモテナシ、オモテナシ・・・」
 路上には子どもたちが空き箱を前に座り、物乞いをしている。笛を吹き、空缶を叩く少女もいた。知人によるとジプシーや隣国からの避難民の子どもたちであり、通行人がお金を空き箱に入れれば物陰から監視する大人が即座に取りあげる。我が子といえども使用人扱いだという。
 私は考えてしまった。近代化は貧富の格差拡大と同義語なのか。先進・途上の区別なく格差は拡大するのか。国民を無視した経済優先の国同士が、躍起になって原発技術を売買する。現在の政治とはそういうものなのか。絶対に違うだろう。
 そのような思いを抱きつつ、異国の地で大島鎌吉の言葉を反復した。
 技術革新の負の部分を怠るな。怠る偸安(とうあん)を許すな!
 モスク前の広場で「人類はみんな平等だ! 貧富の差をなくそう!」と叫ぶ集会を見ることができたのは、私の心を少なからず癒してくれたのだが・・・。

 格安のチケットで成田とイスタンブール間を、モスクワ経由で往復した。その帰路に偶然の出会いが待っていた。私の隣の席に座った、同年代のイスタンブール在住17年の女性はトルコ各地で「原発禍のフクシマ」の現状を伝え、反原発を訴えていたのだ。私の故郷・南相馬にもボランティアとして2週間ほど滞在していた。
 私たちは機上で意気投合した。久しぶりに帰国する彼女は、間を置かずに台湾での平和会議に出席するという。彼女はいった。
 「金曜日の夜、東京にいるときは私も官邸前に行くわ。だから、今度は官邸前でお会いできるわね・・・」
 旅は世界を知らしめ、偶然の出会いは思考を膨らませる―。

筆者プロフィール
岡氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
ページトップへ
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件