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vol.625-1(2015年1月13日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―51

 正月三が日は故郷・南相馬市の実家で過ごした。
 元旦とはいえ市内のスーパーは営業しており、さっそく老父の好物であるカツオの刺身を買いに出向いた。在住する埼玉や東京で食べるカツオとは比べることができないほど美味い。
 しかし、スーパーの売り場に行くたびに「大丈夫なのか?」と思ってしまう。魚介類に限らず、農産物を前にすると躊躇うのだ。商品には魚協や農協が放射性物質(セシウム134、セシウム137など)を測定したモニタリング検査結果が表記されてはいるが、どうしても納得できないのだ。基準値1キロ当り100ベクレル以下は、すべて「検出せず」「不検出」と表記されていたからだ。つまり、99ベクレルの場合でも「食べても大丈夫」ということだ。 そのため私は、店員に尋ねたことがある。
「90ベクレルでも食べられるということでしょうか?」
「基準値以下であれば、そういうことなんでしょうね・・・」
 困惑顔を見せつつ、店員は私にいった。
 元旦、そういった不安を抱きつつも、私はスーパーで宮城県石巻港で水揚げされたカツオを買った。売り場にはモニタリング検査結果を表記された用紙は見ることはできなかった。もうすぐ原発事故から丸4年、すべてに「異常ナシ!」ということか・・・。

 1月11日。ネットのニュースを検索していると『26年産新米基準超ゼロ 風評払拭へ大きく前進 放射性物質検査』の見出しが飛び込んできた。福島民報が報じたものだ。
 その記事を要約すると、原発事故に伴う米の全量全袋放射性物質検査で、昨年産米の約1075万点すべてが食品衛生法の基準値(1キロ当り100ベクレル)を下回った。これは原発事故以来初めてで、検査は24年産から開始され1キロ当り約50〜80ベクレルを超えた玄米はゲルマニウム半導体検出器で詳細検査を実施し、100ベクレルを超えた玄米は破棄している。今回の約1075万点の検査結果の詳細は、25ベクレル未満が約1074万点(99・98%)、25〜50ベクレル以下が1852点(0・02%)、51〜75ベクレル以下が11点、76〜100ベクレル以下が1点(0・00001%)であり、100ベクレル以上の基準値を超えるものはなかった・・・。
 以上の内容の記事を読めば、多くの人は「福島の米は大丈夫だろう」と思うかもしれない。しかし、私は納得できなかった。何故なら全量全袋約1075万点に及ぶ福島産米の出どころである、生産地が明記されていないからだ。
 福島県は浜通り・中通り・会津地方の3つの地区から成っている。それを考えれば少なくとも地区別に検査を行うべきではないだろうか。とくに原発に近い浜通りで生産された、すべての米が基準値以下だとは思えないからだ。
 同じ記事を読んだという、南相馬に住む知人はこういった。
 「ほとんどの県民は『よかった』と思っているかもしれない。でも、とくに子どもや孫がいる家庭は、福島産の米は食わないと思う。なんぼ25ベクレル未満の米が100%近いといっても、まったくのゼロではないしね。米は1日に3回も食うし、あえて福島産を食うことはないと思う。福島産の米はスーパーに行けば、5キロ1680円で売ってるけど、俺の家は新潟産のコシヒカリを食ってるね・・・」
 ちなみに都内のあるスーパーでは、福島産の米を5キロ1180円(税別)で廉売していると聞くが、売れ残っているという。都内に住む知人は次のようにいった。
 「よく福島の人は『風評被害だ』というけど、それは違うよね。原発事故は起こっているし、農産物は放射線物質で汚染されたのも事実だしね。基準値以下といってスーパーで売るのは勝手だけど、売買することを許している国に問題がある。消費者の都民の本音は、同じ米なら高くても福島県産以外のものを買う・・・」
 ともあれ、肝心の除染も思うように進まない中、国も福島県も原発事故で起きている多くの問題を、うわべだけで収束させようと躍起になっているのだ。人間の生活など考えていない。

 イスラム過激派のテロに対し、「私はシャルリー!」のスローガンを掲げ、パリの共和国広場は当然として、世界の主要都市の“プロテストの広場”では連日のように抗議集会が開かれている。が、日本で開かれたというニュースは聞こえてこない・・・(12日現在まで)。
 東京のプロテストの広場といえば、国立代々木競技場が隣接する代々木公園と、国立競技場が隣接する明治公園ではないだろうか。
 とくに明治公園の霞岳広場は、春闘やメーデーなどの集会の場として使用され、70年安保の際は「アンポ、フンサイ!」「オキナワ、カエセ!」などのシュプレヒコールを繰り返し、日比谷公園までデモをする起点の広場だった。当時、学生だった私にとっては、権力者側と向き合うことを教えてくれた広場だ。
 9日金曜日。私は今年初めて国立競技場に行った。
 昨年12月半ばから本格的な解体作業が開始され、中央門側の明治公園・四季の庭のほとんどの木々は伐採・移植された。近代オリンピックの始祖のクーベルタンと、日本人初のIOC委員の嘉納治五郎の2つの碑もどこかに消えてしまった。
 国立競技場に出向くたびに、私は植込みに茂るグレープフルーツとキンカンの木の実をもいでは口にしていた。が、すでに伐採されていた。若い解体作業員に声をかけた。
 「グレープフルーツの木、切っちゃいました?」
 「ああ、昨日切ったよ。けっこう実がなっていた・・・」
 競技場内の桜・イチョウ・ヒマラヤスギ・クスノキなども次つぎと伐採され、丸太となって積んである。
 霞岳広場の推定樹齢350年のスダジイは、今年5月までに移植費用1512万円で何処かに移植される。その隣の直径40センチ以上あると思われる、ケヤキはもうすぐ伐採されるという。人びとに親しまれた国立競技場は消えて行く・・・。

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