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vol.686-1(2016年9月9日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―78

 8月が過ぎ、9月に入った。もうすぐ福島原発事故勃発から5年半が経つ。だが、原発禍の街の状況は最悪だ。今も住民は放射能に怯えている。
 私の故郷・南相馬市(小高区・原町区・鹿島区)。原発から20キロ圏内に位置する小高区(人口1万2842人、3・11当時)は、2ヵ月前の7月12日に避難指示が解除された。しかし、8月26日時点で市役所に届け出た帰還者は、たったの777人。帰還率は約6パーセントだ。
 「20キロ圏内の住民は、2018年3月まで避難先で住む仮設住宅や借上げ住宅などの家賃がタダだしね。
 何も無理して家に帰ることなんかない。小高区にはスーパーはないし、コンビニは2軒のみ。市立の小高病院は週に4日やってるけど、入院はできないしね。小高区に家を持ってる市職員だって、家賃タダの区外の借上げ住宅に住んでる。市役所だって大きな声で『戻ってこい』とは言えないんです・・・」
 原発から25キロ地点、私の実家近くのコインランドリーで会った主婦はそう言って、こう続けた。
「私ら家族はしょうがないためここで生活してんの。ダンナは市内の会社勤めのため、私と娘が市外に避難したら家族ばらばらになるしね。一応、洗濯は家でするけど、乾燥はこうしてコインランドリーを利用してんの。(放射能の)線量が高いため、ベランダでは干せないしね。でも、最近は除染作業員もコインランドリーを利用してるから、ここで乾燥するのも考えもんなんですよ・・・」
 その言葉に私は、黙って頷くほかない。

 原発禍の自治体は避難している住民に「戻ってこい」と連呼しているが、放射能を恐れて帰還する住民は少ない。
 1年前の9月。原発から南に20キロ圏内の人口7100余人の楢葉町に対し、政府は避難指示解除を発した。その半年後の今年3月初旬、私は楢葉町に出向いたが、帰還した住民は480人弱で、帰還率は6パーセントだった。
 「まあ、町外に避難して5年も経つと、避難先での生活に慣れるしね。わざわざ線量の高い故郷に戻ってくる住民は少ないし、避難先から役場に通ってる職員もいますから・・・」
 町役場の職員は私を前に、苦笑しつつ言った。
 楢葉町役場に隣接する駐車場は仮設の商店街となり、プレハブの商店と食堂、郵便局、銀行の移動店舗車があったが、客のほとんどは復興作業員だという。現在、楢葉町の帰還率は9・2パーセントとなり、200人増の680余人になったという。
 3年前、IOC総会で安倍首相は2020年東京五輪・パラリンピック招致のプレゼンで、原発事故に関してアンダーコントロールしていると国際公約したものの、未だ汚染水は漏れたまま。最新の技術といわれた、地下水流入を防ぐ凍土遮水壁は効果なし。何せ凍らないというから笑ってしまうのだ。

 現在、南相馬市には60ヵ所以上の復興作業員宿舎があり、アパートや簡易形式の旅館ホテルなどを含め、約1万人の作業員が滞在し、主に除染作業に従事している。
 もちろん、犯罪や問題を起こす者はごく一部だろう。だが、私自身がイレズミをした2人の作業員が親子連れに因縁をつける現場を目撃している。昨年12月初旬には、19歳の除染作業員が女子高生をJR原ノ町駅(南相馬市)のトイレに連れ込み、暴行未遂で逮捕された。知人は語る。
 「トイレの隣は交番だというのにね。まあ、他県の県警も応援にきてるけど、南相馬警察署は情けない。住民はよそ者の作業員が怖くてね、問題が起きても警察には届けない。そういった話はよく聞くよ」
 今年1月、桜井勝延市長は仕事始めで「市民の不安解消や生命を守ることも市職員の重要な任務だ」と力説。警察と作業員を把握するゼネコンとの連携を強め、安心・安全確保の体感治安の改善に取り組むことにしたという。
 だが、住民の不安は募るばかり。これが原発禍の街の実態だ―。

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