海はひろいな大きいな 共和国「こんがりここなつ島・海洋冒険学校」 プロデューサー:上柿和生(うえがき・かずお)
共和国の居住区(テントサイト)の前には、東に向いたリーフの内に大きなビーチが広がっている。満潮時刻を迎える朝は、青いさざなみが朝日に光りながら、波打ち際をシャワシャワと走る。
この音を聞くと、朝ごはんの終わった子ども達は、いてもたってもいられない。シーカヤックを押し出し、リーフに向かって漕ぎ出す。海水浴がいい子は、スタッフがついてスノーケリングで遊ぶ。もぐったり、浮かんだり、もぐったり、浮かんだり、海中をながめると、潮と一緒にやってくるボラやモンツキアカヒメジの群れが足もとをかすめる。 ムラサメモンガラは、自分の巣穴に子どもたちの足が近づくと「何者だ!」とばかりにその足をつつきに来る。フィッシュウォッチングも楽しい海遊びだ。 サンゴの細かい欠片が砂になった浜辺を掘り返すと、砂の色とおんなじ白いハマグリがすぐに子どもの両手いっぱいぐらい採れる。味はたいしたことはないが、立派な貝入り味噌汁の具にはなる。それを採った者は、テーブルに置いたお椀を覗きながら、「これが僕の採った貝かなー?」と、ひとつひとつ、確認しながら口に入れるから、その採集者のこだわりと執念がおかしい。もっとも、これは子どもなりの自己主張なのだが、採らなかった者への自慢でもある。 時々、伊是名島からの海水浴客を乗せた漁船が沖に停泊するが、ほとんどは共和国の子ども達だけの海である。まったくぜいたくな話だが、「われは海の子」以外は誰もいない、ひとり占めのような海遊びである。それをいいことに、いたずら小僧たちは水泳パンツを脱いで、水中野糞をすることがある。大半は、魚達の餌になるが、時にはぷかりぷかりと漂うからそれが困る。結局、それが波打ち際に打ち上げられて、なんだこれは、ということになるが、本人達が自然児として過ごした証となれば、と、目をつぶることとなる。 カヌー遊びは、子どものこころを育てるのに最適だと思っている。これまで、島を一周した者、伊是名島までアイスクリームを買いに行った者など、小さな冒険者や挑戦者を育ててきた。そんな時、彼らはなんとなく「海はひろいな〜大きいな〜♪」と、歌いながらパドルを漕いだという。私も去年、島を離れる時、50肩の痛みをこらえてスタッフと一緒に伊是名島に渡った。カヌーを漕ぐのが初めての女性スタッフのパドル捌きを叱咤しながら、やっぱり歌ったのは「海はひろいな〜大きいな〜♪」だった。この歌を聴いたことは子どもの頃から何度もあるが、自分で大きな声を張り上げて歌ったのは生まれて初めてだった。なんとも不思議な感情だった。
いま考えると、日本の唱歌に出てくる情景は、きっと作者が同じ状況のなかに身をおいて感じたことを書いたからこそ、自分も自然にその情景に取り込まれその歌が謳えたのだろう。今年の夏も、後10日もすれば、陽に焼けた小さい腕を廻しながら、リーフに向かって漕ぎ出す子ども達の姿を、ビーチの監視席から眺めることになる。たがいに声を掛け合い、調子を合わせて「海はひろいな〜大きいな〜♪」と、子ども達の何人もが、パドルを漕ぎながらこう歌いだすことだろう。 ♪行ってみたいな〜よその国〜♪
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