第21回ミズノスポーツライター賞

第21回ミズノスポーツライター賞発表(2011年3月7日)

2010年度 第21回 ミズノスポーツライター賞 受賞作品
スポーツメントール賞はこちらをご覧ください

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「2010年度 ミズノ スポーツライター賞」受賞者決定

 (財)ミズノスポーツ振興会及び(財)ミズノ国際スポーツ交流財団(2010年3月12日に合併し、財団法人ミズノスポーツ振興財団)では、'90年度より「ミズノ スポーツライター賞」を制定し、スポーツに関する報道・評論およびノンフィクション等を対象として、優秀な作品とその著者を顕彰しています。
3月7日、グランドプリンスホテル高輪で 2010年度選考委員会を開き、受賞作品および受賞者を以下の通り決定いたしました。
なお、この「ミズノ スポーツライター賞」の表彰式を4月18日にグランドプリンスホテル新高輪で行います。

■最優秀賞


◇『昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち
  著 者:早坂 隆   出版社:文藝春秋

選評:
 戦争を理由に昭和16年に中止となったはずの「全国中等学校優勝野球大会」が、どうした風の吹き回しか翌17年に再開された。しかし、主催は朝日新聞社から取り上げられ、国の主催する「大日本学徒体育振興大会」の一環という位置づけだった。戦局は悪化する一方、野球への圧力も厳しくなる中で、それでも名門校を中心に16校が勝ち上がって熱戦を繰り広げた。著者は歴史のなかで黙殺されているこの大会に注目し、出場16校のトーナメント形式による全15試合を克明に再現、出場した選手たちの当時の思いや甲子園出場後の足跡もたどりながら、戦時下の甲子園大会を鮮やかに描き出している。とは言え、これはあくまで変則的な大会であり、戦後、復活した甲子園大会の数にカウントされることはなかった。「幻の甲子園」と言われる所以である。
 幻の甲子園は確かにまともな大会ではなかった。何しろすでに多くの中学校で野球部は「敵性」スポーツとして解散させられ、かろうじて続けているところも、選手は集まらず、ろくな練習場も用具もないような状況だった。それでも国が(あるいは軍が)この大会を復活させたのは、野球という文化が敵性などという中傷を越えて、多くの日本人の生活に深く根づいていたからだろう。戦意高揚のために野球の持つ活力を生かしたいと、戦争の旗振りたちも考えたに相違ない。著者はこの「鬼っ子」とも言え、忘れられかかった大会に敢えて照準を合わせる。16ある章のひとつひとつは、1回戦8試合、2回戦4試合、準決勝2試合と決勝と、忠実な試合の再現でしかない。しかし、そこに確かなリアリティと実況中継のような臨場感さえ覚えるのは、1球ごとのディテールにこだわった筆力のなせる業だろう。さらには、過酷な練習風景や、予選試合、そして甲子園球場自体の建設にいたるまで、ストーリーの周囲を固めてゆく周到さである。
 当時の球児たちの多くはすでに鬼籍に入り、指導者たちに至ってはとっくに亡くなっている。取材に応じることができた方々も高齢で、記憶も失われた部分か多いのではないかと危ぶまれる。また戦争を経て資料も散逸し、焼失したに違いない。そのような状況を考えると、著者のインタビューによる球児の生の声の記録は貴重である。「自分たちにとって甲子園は決して幻なんかじゃなかった。主催者が文部省であれ朝日新聞社であれ、野球が出来ることがうれしくてしかたなかった」という、選手たちの一途な思い、そして「甲子園が終わったら戦争に行くんだとあたりまえのように思っていた」という当時の男子学生たちの共通認識を代弁する言葉は、あまりにも異なる環境に対峙せねばならない彼らの運命の過酷さを浮き彫りにして、読む者にせつなく響く。そして、インタビューに応じた選手たちが、70年近くも前の試合の一球一球やワンプレイを克明に記憶していることに驚かされる。甲子園へ行くこと、そこで野球の試合をやることが、球児たちに
 とっていかに大きな意味を持つものであったかが、ひしひしと伝わってくる。
オールドファンには懐かしい名前も幾多登場する。戦後、毎日オリオンズで「火の玉投手」の異名でならした荒巻淳も大分商業のエースで登場し、敗戦の悔し涙を流している。現在ではあまり知られていない選手も含めて、大会出場者のかなりのメンバーが戦後のプロ野球を支える人材になったことが示される。興味深いエピソードも豊富に紹介されている。例えば、台北工業の選手たちは甲子園の土をスパイク袋に詰めて持ち帰った。この風習は「戦後始まった」というのが定説であるだけに、この証言は貴重である。しかも、台湾・基隆港の検疫検査官は持ち込みをとがめなかったというエピソードまで付け加えられている。著者は丁寧に資料を調べて、「幻の甲子園」出の選手の足跡を丹念に追っている。
 筆者の試合の叙述はなかなか巧みで真に迫っている。たぶん、スコアブックを丹念に読み込んだのであろう。それを決して豊富とは言えない当時の報道資料と付き合わせ、かつての選手ならぬ「選士」たちの聞き書きと照らし合わせて試合を再構築して見せてくれる。しかし、よくよく見れば好試合と言えるものは少ない。四球は続出するし(押し出しでの得点の山)、打てばエラーだの送球ミスだの、草野球もいいところである。それでも、個々のプレーの奥を探り、選手の心の状態までも巧みに再現している。とはいえ、15試合とも丹念に再現されていくので、読者としてはいささか単調で飽きを感じる向きもあるかもしれない。それも著者の執念というべきだろうか。
 著者は本書を通じて、選士たちを翻弄した狂気の時代を事実に基づいて浮かび上がらせようとしたのだと言えよう。多くの「選士」たちは大会後すぐに紛れもない「戦士」になって戦場に駆り出され、理不尽な死を遂げた者も少なくない。軍隊の体質や特攻攻撃への疑問はしっかり書きこまれていて、戦争批判の視点も強く感じられる。もう一つ印象的なことは、戦前の野球部のしごき体質である。どこのチームも過酷すぎる練習に明け暮れている。そしてそれが多くの選手たちが送り込まれた軍隊の暴力体質と重なってくる。日本に野球が定着したことは結構なことだが、野球部の体質や雰囲気はいかにも日本的な鍛錬主義であった。野球は敵性スポーツどころか、大和魂の訓練場と見なされていたのである。だからこそこの戦時下の野球大会が実現したのではなかったか。その点をさらに追及して、 16年に中止された大会が翌17年に復活された事情とか、本来の主催者である朝日新聞社を排除したのはなぜか、というような疑問を解明すれば、本書の深みがさらに増したであろう。
 書き方の問題だが、登場人物について著者は、直接話が聞けた人は「さんづけ」で、そうでない人は呼び捨てで登場させ、同じ試合の描写でも「さん」付きと「さん」なしが混在するので、少し違和感を持つ向きもあるかも知れない。しかし、これは著者が貴重な証言をしてくれた人への敬意と親しみを込めて「さん」と呼んでいるので、評者はむしろ微笑ましいものを感じた。スコアの表記が0−2のようになっているのも、先攻−後攻の順に書くという著者なりの準則が守られているので許容の範囲内であろう。
総じて言えば、幻の甲子園を通して時代の実相を浮かび上がらせた労作であり、2010年のスポーツ・ノンフィクションの収穫といっていい作品だと思う。

■優秀賞


◇『Rの輪―広陵野球の美学
  著 者:山田 良純   出版社:南々社

選評:
 広島の広陵高校といえば野球の名門校として知られているが、その実、夏の甲子園ではきっちり40年周期(昭和2年、42年、平成19年)で決勝戦に進出し、かつ敗れてきたという不思議なチームである。本書はその昭和42年(1967年)と平成19年(2007年)の二度の大会に焦点を当て、三原、中井というそれぞれの監督を軸に、活躍した選手たちの群像を配し、迫真の描写で試合の経過と選手の内面を追求している。
 第1部は三原監督率いる昭和の広陵。若い三原のほとんど理不尽なしごきに堪えて、ど根性を発揮する高校生たちの生態が描かれる。監督と選手がぶつかり合い、激しい制裁の一方、反発や反抗も絶えず、広島弁が荒々しく飛び交う日常の練習風景と大会の試合経過が交錯して語られる。「小さな大投手」宇根をはじめ、対照的な二人のキャッチャー生田、石田、豪傑の4番河合など、それぞれのメンバーの性格や行動が浮かびあがる。試合は進んで決勝戦、スポーツ活動に力を入れて名を挙げていた習志野高校に敗れて大泣きする「何の打算もなく、ただ一つのスポーツに打ち込んだ青春の終わり」であった。
 第2部は中井監督のもとでの平成の広陵。時代とともに監督のスタイルも変わり、どちらかと言えば「自主性」を重んじ、選手の判断を尊重する監督のもとで、広陵は順調に勝ち上がる。ここでも選手たちの個性やエピソードが丹念な取材をもとに紹介されつつ、ゲームが進んでいく。特待生問題で揺れたこの年、決勝戦の相手は公立校ということで人気を集めた佐賀北高だった。勝てる試合を審判の微妙な判定と逆転満塁ホームランでひっくり返され、監督がインタビューでタブーの審判批判をするという事件が付け加わる。しかし、選手の偽りない気持ちを代弁したこの発言は監督と選手たちとの絆を強めることになった。
 著者はまた「その後」の余韻を描くことを忘れない。第1部の終章(10章)では、準優勝後もしばらく活躍をつづけた広陵が力を落とし、ほどなく三原監督が無理解な上司と激突して去っていく経緯と、それと対照的な、選手たちの活躍のシーンが記録映画に取り上げられたエピソードが紹介される。第2部では短い15章で勝った佐賀北と負けた広陵の、次年度での明暗が語られる。
 そして全体の「その後」としての短い第3部では、選手や監督の後日談とともに、野球という<特殊な世界>がかえって社会の常識や人間的な能力を養う場であり、野球が「社会のレギュラー」を育てていたことが示される。さらに昨今、自分で意見が言えず親に言わせる子供が目立ち、なんでも合理的な説明を求める風潮が広がったことを批判的に紹介しつつ「教育とは一体何なのか」という問いを改めて突き付けている。著者が広陵の「美学」に寄せて何を語りたかったかは明瞭である。著者は広陵の甲子園物語を借りて、日本の社会の変化、心、教育とは何か、という問題を必死に書いている。
 この作品の特色は、選手や監督の心のひだに迫ろうとしていることである。試合の流れの中で成功・失敗の決定的な瞬間を彼らが何を考えて行動し、何を感じ取ったかを、立場の違う人々の証言を組み合わせて浮かび上がらせている。描写が選手の内面に食い込みすぎるといささかフィクショナル(小説的)な雰囲気も出てくるが、激しく肉体がぶつかり合うゲームの背面でどんな複雑微妙な、また不可思議な心理的な展開があるのかを著者は描こうと試みており、それがこの作品に深みを与えている。67年の決勝戦で代打夏山がヒットを打つところで「ボールがバットに当たったのはわかった。だが、どこに飛んだのかはわからなかった。一生懸命走るのだが、フワフワして一塁に近づかない気がした。(147n)」以下の描写など、当事者でなければ分からない不可思議な感覚をみごとに捉えている。 
 どこの高校の部活でもみられるような日常の細部を伝える一コマや、青春のただなかにいる点において時代を経ても変わらぬ、どこにでもいる高校生たちの素顔を伝えるエピソードが、取材を通じて丹念に掘り起こされ、本人の人柄までも伝わってくるような語った言葉そのままを再現する筆致で綴られ、ノンフィクションとして手堅い手法で脇が固められている。
 昭和のチームと平成のチーム、ともに準優勝したチームは、甲子園で優勝することよりもむしろ意味ある大きな心の財産を手にした。40年の時を経て社会は大きく変化し、高校生の気質も部活のありかたも様変わりした一方で変わらないもの。広陵野球部の一員であったことの誇りと広陵で野球ができたことの幸せ。ユニフォームの胸の中央に輝く「R」の輪は、その象徴であった。
 本書の文章には勢いと輝きがあり、不思議な魅力と「読ませる力」を持っている。反面、滑りすぎておかしな文も多々あるのが欠点である。日本語の誤用も多い。野球用語の間違いもあるし、事実誤認(平成七年の阪神大震災を平成六年としている)、ワープロの変換ミス、誤字脱字もあり、作品としてかなり粗削りな印象と瑕疵があることは否めない。
 著者は1969年広島生まれ。前作に同じ南々社から刊行した『日本一の準優勝 広陵・夏の甲子園2007』がある。前作の著者紹介によると、著者は広陵高校の出身であるが、野球部員ではなかった。20代は職を転々としたが、現在は北海道の公立中学校で美術教師(08年で11年目とある)をし、陸上部の顧問。南々社は主に実用書で実績のある、広島の小出版社。

■優秀賞


◇『「心の聖地」−スポーツ、あの日から−』
  共同通信社 編集委員室

選評:
 2011年の日本体協設立100周年に向けて、スポーツ人が生きてきた心の軌跡を掘り起こし、スポーツの原点を再発見しようとした年間大型連載企画。有名選手だけでなく、陰でスポーツを支えた人々や、先駆者として道を切り開いた選手にもスポットライトを当てた。毎週1本、計50本配信し、全国の35紙に掲載された。
 第1回の主人公は64年東京オリンピックの聖火最終ランナーであった坂井義則。広島生まれの坂井は原爆投下の日に生を受けたということでアトミックボーイとも呼ばれ、平和の象徴とされた。彼の聖地は国立競技場。聖火台から見下ろしたフィールドには94カ国の選手団がつどっていた。まさに平和の具現化であった。最終ランナーの肩書が人生を規定した。しかし、就職したテレビ局で中継を担当したミュンヘン、アトランタのオリンピックはテロの標的になった。また、模範的な生き方を貫こうとしてきた坂井にとって、ビジネス化したスポーツの裏表を肯定することは心の聖地を否定するようなものだったのかもしれない。
 第2回以降も、白人以外で初めて米プロバスケットボール選手になった日系人のワット・ミカサ、登山家の加藤滝男・保男兄弟、オグリキャップの装蹄師三輪勝、水泳の橋爪四郎、ケニアでランナーを発掘してきた小林俊一など、興味深い人物を掘り起こしている。特に橋爪が、水泳の道を開いてくれた先輩の古橋廣之進(故人)への思いから、ヘルシンキ五輪の銀メダルを表には出さなかったというのは、心に響く逸話だ。体操の池田敬子が「あのころはママさん選手がたくさんいたわよ」と指摘しているのも面白かった。慶応のボートが沈んだ「あらしの早慶レガッタ」は、ラジオ放送のため荒天の中スタートを強行したらしいという裏話や、ボート人の異なる考え方が興味を引いた。卓球の荘則棟が中国育ちの日本人女性と再婚していることも初めて知る話だった。
 戦前戦後の苦難を切り開いてきたアスリートの生き方は、現代の若い人の指針にもなるというのも、狙いの一つのようだ。また、かるたや将棋を取り上げたのも面白い。しかしその一方で、王をはじめ、張本、瀬古、北の海などは「今更感」を覚えるし、外国人、特にフィリピンのプロボクサーは何故取り上げたのか、その真意はまったくわからない。瀬古利彦は「マラソン走者」、君原健二は「マラソン」、橋爪は「水泳」、岩崎恭子は「競泳」と肩書きの統一がとれていないのもいただけない。
 テーマの「心の聖地」は違和感が付きまとう。崇高で侵しがたいイメージだが、札幌五輪でブランデージIOC会長から追放処分を受けたカール・シュランツにとって札幌は心の聖地なのだろうか。カシアス内藤にとっての38度線は、覚えてもいない父親が戦死したらしい場所とのことだが、これもしっくり来ない。柔道のモハメド・ラシュワンにとって、生まれ育った土地、今も暮らすアレクサンドリアは「ふるさと」「わが町」であって、「聖地」などと呼べるのか。やや古めかしい、気障なタイトルがこじつけの印象を与える記事が結構あった。「聖地」といえば、よほど深く胸に刻みつけられた場所、忘れ得ぬ場所ということだろう。企画書には「スポーツ人の哀歓を通して時代を描く」とある。何かほかに、素直な言葉の、できれば洒落たフレーズのネーミングはなかっただろうか。「1年間」にこだわって無理に回数を増やした感じも受ける。
 競技別で見ると、プロ野球6人、水泳3人、サッカー2人など、36分野で50人(組)。外国人が数人登場しており、シュランツ、ミカサ、体操のベラ・チャスラフスカ(チェコ)、ラシュワン、荘則棟らは何がしか日本と関わりがあるが、ボクシングのマニー・パッキャオ(フィリピン)がなぜ入ったのか、よくわからない。
 往時には語られなかったスポーツの舞台裏や当事者の心情を、新しい時代の視点から掘り起こしていくことも、新聞連載の重要な役目であろう。ただ、企画の段階から狙いや取り上げる対象をきちんと整理することが必要だ。
 大型企画として読みごたえがあり、写真もきれいだ。囲みのデータや取材こぼれ話などもいい。企画としての重量感があり、取材力が低下しつつある地方紙にとってはありがたい記事ということになるのだろうか。

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主催:公益財団法人 ミズノスポーツ振興財団 
選考:ミズノ スポーツライター賞選考委員会

[主旨]
 スポーツが巨大なメディアそのもとなった今日、世界の国々、地域、民族が分け隔てなく、共通のルールで価値を創造し共有できる文化は、スポーツをおいて他に見当たりません。
バンクーバー冬季オリンピック大会、サッカーW杯南アフリカ大会、いずれの舞台でも、肉体のもつ能力の可能性が未来に向かって切り拓かれました。世界の人々の魂を揺さぶる人間的なドラマも現出しました。スポーツはどんな状況にあっても、子どもたち、若者たちが夢をふくらませ、それを叶えられるフィールドとして価値ある存在であることがあらためて確認されたと言えるでしょう。

 スポーツをテーマに「書く」ということは、スポーツの世界で繰り広げられる多種多様な事象を、読む人の心にいきいきと甦らせることのできる高度の娯楽性を基盤に置きつつ、客観的な報道性(記録性)と時流に迎合しない批評性を併せ持った文章によって、人々にスポーツの真価を伝えることです。それはスポーツの文化性をより高めるために必須の営みだと言えます。

 今年度で21回目を数える「ミズノスポーツライター賞」は、「スポーツの世界を文字で描き伝える」スポーツライターの業績を顕彰するわが国唯一の賞として、その価値と使命がいよいよ大きなものとなってきています。本年も21世紀のスポーツ界とスポーツ文化のさらなる発展に寄与することを目的として、スポーツ報道とスポーツ・ノンフィクションに関する優秀な作品を広く公募いたします。

[対象領域]
 【2010年1月1日〜12月31日】に発行・出版・発表されたもので、主として新聞・雑誌・単行本等に掲載された個人もしくはグループで書かれたスポーツ報道、スポーツ評論、スポーツノンフィクション、など。ただし、インターネット上のウエブサイトなどで発表されたもの、社内報や広報誌等一般に販売されていないもの、一般の者が入手不可能な機関誌的なもの、翻訳書や専門学術書・誌、研究紀要等に掲載されたいわゆる学術論文はこの対象からは除く。

[表彰内容]
★最優秀作品 1本 (トロフィー / 賞金100万円)
☆優秀作品  2本 (トロフィー / 賞金 50万円)

[選考委員]

委員長岡崎 満義元(株)文藝春秋取締役・「ナンバー」初代編集長
委 員杉山 茂スポーツプロデューサー/元NHKスポーツ報道センター長
 ヨーコ 
ゼッタ−ランド
スポーツキャスター
 高橋 三千綱芥川賞作家
 水野 正人 (公益財)ミズノスポーツ振興財団会長/ミズノ(株)代表取締役会長

※敬称略・50音順

[ 応募要領 ]
作品の主旨および筆者名(担当記者)あるいは担当班とそのメンバー名、連絡先を記載の上、新聞・雑誌は作品のコピー3セット(A4サイズ/必要に応じて他サイズも可)、書籍は3冊を同封の上、お送り下さい。応募に際しご不明な点がございましたら選考事務局までお問合せ下さい。

●締め切り(消印有効):2011年1月7日(金)   
●発表 :2011年3月7日    
●表彰式 :2011年4月18日

【お問い合せ先】
「ミズノ スポーツライター賞」選考事務局
〒151-0053 東京都渋谷区代々木2-16-15 代々木フラット401 スポーツデザイン研究所
TEL:03(3377)4858 / FAX:03(3377)5028
お問合せ:こちら

第21回 2010年度・表彰式 グランドプリンスホテル新高輪(2011年4月18日)
水野正人氏
(公益財)ミズノスポーツ振興財団会長
   ミズノ(株)会長
岡崎満義氏
選考委員長
元(株)文藝春秋取締役、
「Number」初代編集長
優秀賞
昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち
戦時下の球児たち
(文芸春秋)

早坂 隆氏
優秀賞
Rの輪―広陵野球の美学
(南々社)

山田良純氏

優秀賞
心の聖地−スポーツ、あの日から−
(全国35新聞各紙)

共同通信社 編集委員室

過去の受賞記録
公益財団法人 ミズノスポーツ振興財団 のミズノスポーツライター賞サイトをご覧ください

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