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100号記念メッセージ

■vol.122 (2002年11月20日発行)

【藤原清美】ブラジルから見た「ジーコ・ジャパン」
【賀茂美則】松井の前途を憂う
【早瀬利之】中嶋常幸(48歳)、太平洋マスターズに勝つ
【杉山 茂】新感覚のぞかすスポーツ施設の名称


◇ブラジルから見た「ジーコ・ジャパン」
(藤原清美/スポーツ・ジャーナリスト:リオデジャネイロ発)

ブラジルのメディアはこれまでにないマメさで日本代表の動向を報道している。ジーコ・ジャパンというより、あくまで興味の対象は今のところ「ジーコ」のようだが。

何しろ、ブラジルでのジーコの存在感は、日本でのそれと比べ物にならないほど大きい。ジーコの古巣フラメンゴが不甲斐ない試合をすれば、いまだにスタンドからジーコ・コールが起きる。サッカー界に問題が起これば、メディアはジーコにコメントを求める。「往年の」名選手であるはずなのに、過去の人では全くなく、今も少年達やヨチヨチ歩きの幼児までが、ジーコを見つけると駆け寄り、しがみついていく様子には感動さえ覚える。

ブラジル代表選手達の日本へのコメントも、ジーコ監督就任によって変った。

ジーコ監督の仕事を見るのが楽しみで仕方ないのは、2002年ワールドカップ優勝チームのキャプテン、カフーだ。「日本代表は、ジーコほど偉大な監督を得たことは、かつてなかったはずだ。だから本当に多くのものを得るはずだよ。」更には、「ブラジル代表だって彼ほど偉大な監督は…」と言いかけ、さすがに訂正した程だ。

リヴァウドにいたっては「僕にとっては、ジーコが監督をするっていうこと自体がすごく重要なんだ」と語る。リヴァウドも、あのロナウドも、幼い頃からジーコに憧れ、ジーコになりたいとボールを追った。

日本にとってのジーコの重要性を語ってくれた選手もいる。ロベルト・カルロスは「日本は短い間に急速にレベルアップして、ワールドカップでも良いプレーをしていた。でも、そのレベルを維持するのが、実はもっと難しいことなんだ。そして、もう一歩成長するためには、壁にぶち当たることもある。そういう時にジーコの経験がものをいってくる。」と、頂点であり続ける義務を負ったブラジル代表選手としての実感を込めて語った。

早くも次のワールドカップに向けて闘志を燃やすエメルソンの見方はもっと切実だ。「国際サッカー界におけるジーコの存在感は別格だ。ジーコのチームだという事で、世界からの日本代表に対する見方も変る。」つまり、「ジーコのチーム」である日本は、あなどれない存在になると言っているのだ。

サッカーメディアに携わる人達でも、「ナカタ」を知っていれば上出来だった。それが、11月20日アルゼンチンとの親善試合を前に、「ジーコがヨーロッパ組みを失った」と、中田、小野、稲本選手の欠場を報道する。

日本からも、個々の選手はすでにヨーロッパへ移籍し、活躍しはじめた。たとえ、今はジーコが何をし、何を言ったかが興味の対象であっても、その注目の中で輝きを放つことができれば、「日本代表」というチームが初めて世界にその名をアピールすることになる。

最後に、日本代表監督の経験者、ファルカンの言葉。「日本は今回、最良の選択をしたと思う。ただ一つ言っておきたいのは、この先、どんな困難があろうとも、ジーコは必ず良い仕事をするはずだから、日本のサポーターは忍耐を持って見守ってほしいということだ」。

まさにその経験からくる、日本への忠告だ。

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◇松井の前途を憂う
(賀茂美則/スポーツライター:ルイジアナ

巨人の松井が大リーグに移籍する。それも他球団は獲得を諦め、ヤンキース入りが事実上決定したと伝えられている。関係者の多くは松井の成功を予想しているようだが、筆者はやや悲観的である。

技術云々を言っているのではない。わずかのところで三冠王を逃した松井の打力は大リーグでも十分通じるはずだ。ホームランバッターとしてよりも中距離打者として活躍する素地は疑いがない。

しかし、である。松井の「ものの考え方」に疑問を呈さずにはいられないのである。

具体的に言おう。松井は代理人なしでヤンキースとの交渉に望もうとしているが、この決断は大間違いである。

大リーグで野球をする以上、大リーグの常識に従うべきなのだ。筆者の知る限り、エージェントを持たない大リーグ選手はいない。松井はその常識外れを敢行しようとしている。エージェントの理念に反対するために風穴を開けよう、という覚悟なら理解はできるが、松井の場合はそうではない。ただ単に無知なだけである。

エージェントが担当するのは、年俸だけではない。それだけならエージェントなどいらない。大リーグの契約書には、怪我をしたときの待遇、シーズンオフの過ごし方、専属通訳はつけるのか、トレードに関する条項など、アメリカの法律に精通している専門家にしか交渉が出来ない事項が数多く含まれている。代理人の多くが弁護士であるのは偶然ではないのだ。松井が英語を話せるということは聞いたことがないので、通訳を通して自分で交渉するつもりだろうか。正気の沙汰ではない。

某スポーツ紙で、代理人を雇わない松井の決断を、「長嶋流クリーン金銭哲学」の継承だと賞讃していたが、勘違いも甚だしい。巨人の渡辺オーナーの代理人嫌いとも結び付けているが、辞める会社の社長に気兼ねして一体何になるというのか。

松井とその周りの人々には、代理人に関する理解が不足しているとしか言いようがない。代理人とは年俸をつり上げるためではなく、選手を法的に守るために存在するのだ。ヤンキースのGMが日本に来ると伝えられているが、早い話、彼は誰に会えばいいのか、わからないに違いない。フリーエージェントになった以上、松井に関して言えば、巨人の出る幕ではないのだ。

「知り合いの弁護士」を通じて話をする、ということだが、その「知り合い」はアメリカの事情をわかっているのだろうか。英語で丁々発止の交渉ができるのだろうか。

子どもの遊びではない。野球は大人のビジネスなのだ。これは松井の、ひいては日本人の「甘え」以外の何ものでもない。

エージェントはいらない、ということは、ヤンキースのペースで交渉する、ということを意味する。松井とその関係者は、「ヤンキースのことだから、こちらの悪いようにはしないだろう」と考えているだろう。これが松井の甘えであり、間違いなのだ。

自分が自己主張をしない限り、相手に有利な条件でものを運ばれても文句が言えないのがアメリカであり、大リーグである。

春から夏にかけてレンジャーズの「新守護神」と言われた伊良部はシーズン終了後にあっと言う間にクビになったし、あれだけ実績のある野茂にしても、1999年春、ブリュワーズとマイナー契約を結んだ時の年俸は前年の10分の1であった。前年度の10分の1で選手と契約する日本のプロ球団など、聞いたことがない。

アメリカで、野球はビジネスなのだ。ましてや「命を賭ける」ようなものではない。アメリカに乗り込んで行く以上、アメリカのやり方に従わなければ、損をするのは松井本人なのだ。

松井がヤンキースに入ったら、生き馬の目を抜くようなニューヨークでは松井の「やさしさ」が問題になるかも知れない、という記事を読んだことがある。全く同感である。「やさしさ」に「甘え」が加わったら、いくら松井といえども、勝機はうすい。

代理人なしで、自分で住まいを探し、通訳を通じての球団との折衝に神経をすり減らし、打撃不振に陥る松井の姿など目にすることのないように、祈るばかりである。

【編集部注】
上記原稿は15日時点で、ご寄稿いただいたものです。
松井選手は19日の会見にて、代理人を通した交渉に転換すると表明したとのことです。

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◇中嶋常幸(48歳)、太平洋マスターズに勝つ
「ゴルフも人生も、敗れた時がスタートである」
(早瀬利之/作家)

11月17日の夜、私は中嶋常幸に「優勝おめでとう」の手紙を書いた。太平洋マスターズに優勝し、今年2勝目を上げたからである。

48歳という年齢は、プロスポーツの世界では老骨である。だが、歳をとっても勝てる世界はゴルフをおいてないように思う。

剣道の世界は、高段者は確かに強いが、試合となると、なかなか勝てない。気で勝てても、一日の体力には、やはり限界がある。その点、4日間を戦い抜くゴルフは、体力と気力と技術力など、全ての要素が一打に集中しなければならないだけに苦しいが、勝つことができる。

私が中嶋常幸と別れたのは7月の全英オープン2日目の夜10時頃だった。スコットランドの夜はまだ明るい。しかし、記者会見が終った頃は陽が落ちて、冷え込んだ。

たった1打のミスで予選落ちした悔しさを、彼はクラブハウスから駐車場への暗い道を、家族に見守られながら、うつむいて歩きながら噛みしめていた。残酷とは思ったが、私は一緒に歩きながら、小型テープレコーダーのマイクを近づけて、辛い心境をインタビューし、そして、駐車場の入り口で、彼と彼の家族と別れた。予選落ちした最後の使用ボールを、彼はそっと私にプレゼントしてくれた。今も、私はそのボールを大事に飾っている。

そのボールは「人生は敗れた時が、また新しいスタート」だと、語ってくれる。

4日間密着したレポートは、「週刊新潮」に発表したが、今も印象に残っているのは「タイガー・ウッズ、あいつと一度、やってみたいね」だった。48歳になろうとする彼が、息子と同世代の世界の王者と戦いたい、という気持ちが、なんとも新しく、そして心強く思えた。

しかし、一緒のペアリングで戦うことは、タイガーのレベルにいないと、チャンスはない。それを「一度、戦ってみたい」という。

そして、全英から4ヵ月後の太平洋マスターズで、彼は今年2勝目を上げた。それも、米ツアーで腕を上げている田中秀道を振り切っての優勝だった。

今年の太平洋マスターズは、48歳の友利勝良が最終日に追い上げるなど、48歳の2人の男の活躍が目立った。人並み以上の努力が実った結果がスコアに出ている。歳をとっても、努力すれば勝てる勇気を、私だけでなく、日本中のゴルフファンが体感したと思う。

不調のゴルフ界だが、久しぶりの感動を与えてくれた名勝負だった。

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◇新感覚のぞかすスポーツ施設の名称
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

「アテネオリンピックで金メダルを手にしたら、君の名を地元の区営プールに付けよう」―。

平泳ぎのホープ・北島康介選手に、東京都荒川区長が、こんな素敵な約束をした、という。

9月の釜山アジア大会200m平泳ぎで世界新記録(2分9秒97)をマークした北島選手に出身地の荒川区が区民栄誉賞を贈り、その授与式(11月13日)で、明らかにされたものだ。

アマチュア、プロを問わず、功績を讃えて競技者、指導者名を冠せた施設、大会、賞は、日本でも珍しくなくなったが、栄光を期待し、激励して、事前にその構想が明かされるのは、あまり例がない。

『北島康介記念プール』!!。荒川区の人たちや競泳ファンならずとも、2年後のレースに胸が弾む。

国内のスポーツ施設名は、官製が多い為か堅苦しい。○○運動公園屋内球技場、といった類である。さすがに最近は、さいたまスーパーアリーナ、マスカット球場(岡山)、大館樹海ドーム(秋田)など、工夫された命名も多くなり、長野オリンピック(1998年)では、長野市内のアイス系施設は、ニックネーム風で評判を呼んだ。荒川区のような"姿勢"も増えていい。

アメリカで盛んなスポーツビジネスの1つ「ネーミングライツ(命名権)」も、日本での本格化が近い。スポンサーとなる企業の社名や商品名をスタジアムやホールの名称として付ける"権利"だ。

アメリカでの第1号は諸説ある。ガム会社を経営するオーナーが1926年に名付けたシカゴ・カブス(ベースボール)の「リグレー・フィールド」では、というのが一般的。

もっともビジネスとして拡充されてきたのは1980年代で、施設を建築する公共団体の財政事情によるもの、といわれる。

日本でも、大きなイベントのたびに「後利用」が問題とされるだけに、関心が高まっており、いわゆる「冠(かんむり)大会」が一息ついている時だけに、"新たな分野"として、注目される。

スポーツ施設も、総ての面で「新時代」だ。

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